企業の気候変動対策において、自社の事業活動に直接関連するScope 1、2の排出量削減はもとより、サプライチェーン全体にわたるScope 3排出量の算定と削減がますます重要視されています。しかし、取引先と共同で進めた削減の成果を自社のScope 3報告に反映しようとすると、どの企業が、どの削減量を、どこまで報告してよいかを客観的に示す仕組みがないことや、データの信頼性の確保といった課題がありました。
本記事では、こうした課題に対応するため、ボランタリークレジット市場の主要な基準設定団体であるVerraが2026年9月15日に始動した「Scope 3 Standard(S3S)」プログラムについて、その概要と仕組み、企業活動への影響を整理します。株式会社サステナビリティスタンダードパートナーズ(SSP)は、第三者検証機関の視点から、この新しい枠組みを活用する上での実務的なポイントを解説します。


Verra Scope 3 Standard 要約
VerraのScope 3 Standard(S3S)は、バリューチェーン内で行われる排出削減・吸収のプロジェクトを認証し、その成果を「Scope 3ユニット(Scope 3 Unit:S3U)」として発行する新しいプログラムです。将来的には、対象製品とのつながりが検証された報告企業に「報告可能なS3U(Reportable S3U)」が発行され、自社のScope 3報告に活用できるようになる予定です。2026年9月15日に始動したバージョン1.0は段階的に導入されており、現時点で可能なのはプロジェクトの事前掲載までです。
Scope 3算定・報告における従来の課題
Scope 3排出量の算定と削減は、多くの企業にとって複雑で困難な取り組みです。特に、バリューチェーン全体での協働が求められる中で、いくつかの根深い課題が指摘されてきました。これらの課題が、企業の効果的なScope 3対策を妨げる一因となっていました。
削減量を誰がどこまで報告してよいか
Scope 3は定義上、サプライヤーのScope 1が購入企業のScope 3になるため、サプライヤーが自社のScope 1削減として報告した削減量が、購入企業のScope 3削減にも反映されること自体は、算定の構造上生じるものです。Verraも、バリューチェーンの異なる段階にいる企業が同じ削減量をそれぞれのScope 3報告に反映することを「共同報告(co-claiming)」と呼び、二重計上には当たらないと整理しています。課題は、実際の調達量を超えて削減量を主張したり、同じ削減量が複数の制度で重ねて発行・販売されたりすることを防ぐ仕組みがなかったことです。
サプライヤーの削減努力の反映の難しさ
多くの企業は、サプライヤーに対して省エネ設備の導入支援や再生可能エネルギーへの転換を働きかけるなど、サプライチェーン全体の排出削減(サプライチェーンエンゲージメント)に取り組んでいます。しかし、これらの支援によって生じた削減量を、自社のScope 3削減実績として明確に紐づけて報告するための、標準化された手法が確立されていませんでした。そのため、多大なコストと労力を投じたにもかかわらず、その成果を十分に訴求できないという問題がありました。
データの信頼性と一貫性の欠如
Scope 3の算定には、サプライヤーから提供される活動量データや、業界平均の排出原単位など、多様なデータソースが用いられます。しかし、データの収集方法や算定の前提条件が企業ごとに異なると、報告される数値の比較可能性や信頼性が低下します。特に、同じプロジェクトの削減量を複数の企業が報告に使う場合、その削減量が正確に算定され、一意に管理されていることを保証する仕組みが不可欠となります。
VerraのScope 3 Standard(S3S)の概要
Verraは2026年9月15日、Scope 3 Standard(S3S)プログラムのバージョン1.0を始動しました。前述したScope 3領域の課題を解決し、企業のバリューチェーンにおける排出削減を加速させることを目指すものです。プロジェクトの要件はISO 14064-2を踏まえて定められており、GHGプロトコルやSBTiなど、策定が進む企業向けの算定・報告・目標設定の基準に対応できるよう設計されています。
プログラムの目的
本プログラムの主な目的は、バリューチェーン内のプロジェクトによって生じた排出削減・吸収量を、信頼性と透明性の高い方法で定量化し、認証するための枠組みを提供することです。同じ削減量の二重発行・二重販売を防ぎつつ、バリューチェーンの各段階の企業による共同報告を認めることで、複数の企業が共同で削減プロジェクトに投資しやすくなることが期待されています。
Scope 3ユニット(S3U)とは
Scope 3 Standardプログラムの中核をなすのが、「Scope 3ユニット(Scope 3 Unit:S3U)」です。1 S3Uは、S3Sプロジェクトで達成された1tCO2e(二酸化炭素換算トン)の排出削減・吸収量を表し、影響を受けた製品の種類や量などの情報を伴います。S3UはVerraの登録簿上でプロジェクト実施者に発行されます。報告企業が自社のScope 3報告に使うのは、S3Uを基に発行される「報告可能なS3U(Reportable S3U)」です。これは、対象製品とのバリューチェーン上のつながりが検証された企業にだけ直接発行されるもので、企業間で移転することはできません(バージョン2.0で導入予定)。
対象となる活動
本プログラムの対象となるのは、バリューチェーン内の排出に影響し、S3S向けに承認された方法論を適用するプロジェクトです。活動開始日が2015年1月1日以降であること、法令で義務付けられた活動ではないこと(規制余剰性)なども要件となります。始動時点で使える方法論は、「S3S-VM0042 農地管理の改善」と「S3S-VM0043 コンクリート製造におけるCO2利用」の2つに限られており、対象分野は今後の方法論の追加に応じて広がっていく見込みです。
プログラムの仕組みとプロセス
Scope 3 Standardプログラムは、プロジェクトの登録からユニットの発行、そして報告企業による活用に至るまでのプロセスを定めています。ただし、これらは段階的に導入されており、2026年9月時点で可能なのは、Verra登録簿へのプロジェクトの事前掲載(パイプライン掲載)までです。登録・妥当性確認・検証とS3Uの発行はバージョン1の今後の更新で、報告企業との関係の証明と報告可能なS3Uの発行はバージョン2.0で導入される予定です。
プロジェクトの登録と妥当性確認
プロジェクト実施者は、プロジェクトの概要や適用する方法論、削減量の算定方法などを記述したプロジェクト記述書を作成します。プロジェクト実施者には、製品の供給者のほか、Scope 3目標を持つ報告企業自身や、専門のプロジェクト開発者なども含まれます。Verraが承認した第三者の妥当性確認・検証機関(VVB:Validation/Verification Body)による妥当性確認を経て、Verraがプロジェクトを登録します。
削減量の算定と検証
プロジェクト実施者は、適用した方法論に従って、一定期間内に達成した排出削減・吸収量を算定し、モニタリングレポートにまとめます。その後、VVBがISO 14064-3などに基づき、その算定が正確かつ保守的に行われているか、プロジェクトが計画通りに実施されているかを検証します。
S3Uの発行
VVBによる検証が完了し、Verraによる審査を経て、検証済みの削減量に相当する数のS3UがVerraの登録簿上でプロジェクト実施者に発行されます。同じ削減量を他の制度でも重ねて発行することは禁じられており、S3Sと他の制度に同時に参加する場合は、その状況を開示する必要があります。
報告企業による活用
報告企業は、プロジェクトの対象製品とのバリューチェーン上のつながり(報告する権利:right-to-report)を証明することで、検証済みの配分方法に基づき報告可能なS3Uの発行を受けます。報告できる量の上限は、各社が実際に調達する対象製品の量に応じて決まります。自社のGHGインベントリへの反映方法として、S3Sは、一般的な排出原単位の一部をプロジェクト固有のデータに置き換える「置換」と、プロジェクトで定量化された削減量を一般的な排出原単位に基づく値から差し引く「差引き」の2つを想定しています。
| ステップ | 実施主体 | 主な活動内容 | 導入時期 |
|---|---|---|---|
| 1. 事前掲載 | プロジェクト実施者 | Verra登録簿にプロジェクトを事前掲載する | バージョン1.0(2026年9月開始) |
| 2. 妥当性確認・登録 | プロジェクト実施者、VVB、Verra | プロジェクト記述書の妥当性確認を受け、Verraが登録する | バージョン1の今後の更新 |
| 3. モニタリング・検証 | プロジェクト実施者、VVB | 削減量を測定・記録し、VVBの検証を受ける | バージョン1の今後の更新 |
| 4. S3U発行 | Verra | 検証済みの削減量に基づき、プロジェクト実施者にS3Uを発行する | バージョン1の今後の更新 |
| 5. 報告する権利の証明 | 報告企業、Verra | 対象製品とのつながりを証明し、報告可能なS3Uの発行を受ける | バージョン2.0 |
| 6. 報告・開示 | 報告企業 | 報告可能なS3Uを自社のScope 3報告に活用する | バージョン2.0 |
日本企業への影響
VerraのScope 3 Standardプログラムは、グローバルに事業を展開する日本企業にとって、サプライチェーン管理と気候変動情報開示のあり方に影響を与える可能性があります。本格的な運用はこれからですが、制度の方向性を早めに押さえておくことで、準備を進めやすくなります。
サプライチェーンエンゲージメントの深化
本プログラムは、サプライヤーへの技術支援や共同での設備投資といった、従来のサプライチェーンエンゲージメント活動の成果を可視化し、定量的に評価するためのツールとなり得ます。削減量が検証を経たユニットとして示されることで、サプライヤー側にも削減努力へのインセンティブが働きやすくなり、より実効性の高い協働関係を築くことが可能になります。
共同投資と共同報告の機会
S3Sでは、サプライチェーンの異なる段階にいる複数の企業が同じプロジェクトに共同で投資し、それぞれが対象製品の調達量の範囲内で削減量を自社のScope 3報告に反映できます。サプライヤーや同じ原材料を調達する他社と連携したプロジェクトの形成は、新たな協働の機会となり得ます。一方で、報告可能なS3Uは企業間で移転できないため、ユニットを市場で売買してScope 3削減に充てるという使い方は想定されていません。
検証体制の準備の必要性
本プログラムを活用するためには、プロジェクトの計画段階から第三者検証を意識したデータ管理体制を構築することが不可欠です。削減量の算定根拠となるデータの収集・管理プロセスや、ベースラインシナリオの妥当性など、検証機関から厳格な審査を受けることになります。社内に専門知識を持つ人材を育成するか、信頼できる外部パートナーと連携し、早期に準備を進めることが重要です。
第三者検証における勘所
Scope 3 Standardプログラムにおける第三者検証は、発行されるユニットの信頼性を保証する上で極めて重要な役割を担います。VVBは、グローバル認定協力機構(Global ACI)の加盟認定機関による認定を受けたうえでVerraの承認を得る必要があり、ISO/IEC 17029、ISO 14065、ISO 14064-3とS3Sの要件に沿って、プロジェクトが基準や方法論に準拠しているかを独立した立場で評価します。妥当性確認は限定的保証、検証は合理的保証または限定的保証の水準で行われます。
ベースライン排出量の妥当性
排出削減量は、プロジェクトを実施しなかった場合に排出されていたであろう「ベースライン排出量」と、実際の排出量との差分として計算されます。そのため、ベースラインシナリオの設定が適切かどうかが検証の重要なポイントとなります。過去のデータや業界の慣行などを基に、客観的かつ保守的なベースラインが設定されているかを確認します。
規制余剰性と追加性
S3Sでは、プロジェクトが法令で義務付けられた活動ではないこと(規制余剰性)の証明が必須とされています。一方、プロジェクトがなければ削減が起きなかったこと(追加性)の証明は任意です。追加性を証明したプロジェクトのユニットには「追加性あり」のラベルが付与されます。追加性が必須のVCSプログラムとはこの点が異なるため、将来VCSへの登録も検討する場合は、S3Sへの登録前または同時に登録を進めることが推奨されています。
データ管理とトレーサビリティ
プロジェクトのモニタリング期間中に収集される活動量データや各種パラメータは、削減量算定の基礎となる最も重要な証拠です。検証機関は、これらのデータが正確に測定・記録され、適切に保管されているか、また、データの収集から算定に至るまでのプロセス全体でトレーサビリティが確保されているかを確認します。信頼性の高いデータ管理システムの構築が求められます。
Verra Scope 3 Standard FAQ
このプログラムはGHGプロトコルと矛盾しませんか?
S3Sは、企業のScope 3算定そのものを置き換えるものではなく、GHGプロトコルなど策定が進む算定・報告の基準に対応できるよう設計されたプロジェクト認証の枠組みです。ただし、市場手段やプロジェクトの成果を企業の報告にどう反映するかは、GHGプロトコルなどで現在も検討が続いています。実際の開示にあたっては、準拠する基準の最新の要件を確認する必要があります。
どのような企業がこのプログラムを利用できますか?
バリューチェーン内で排出削減プロジェクトを実施する企業(例:メーカー、専門のプロジェクト開発者など)と、自社のScope 3排出量を算定・報告する企業(例:小売業者、ブランドオーナーなど)の双方が利用できます。プロジェクト実施者にはS3Uが発行され、報告企業は対象製品とのつながりを証明することで、報告可能なS3Uの発行を受けます。報告企業がプロジェクト実施者を兼ねることもできます。
S3Uはカーボンクレジット(VCU)とどう違いますか?
S3Uは、Scope 3報告での利用を前提に設計されており、影響を受けた製品の種類や量などの情報を伴います。報告に使うには、対象製品とのバリューチェーン上のつながりを証明する必要があります。一方、Verraが運営するVCS(Verified Carbon Standard)プログラムのカーボンクレジット(VCU)は、バリューチェーン上のつながりを問わず利用でき、追加性の証明も必須です。両者は目的と要件が異なります。
検証は必須ですか?
はい、必須です。プロジェクトの登録には妥当性確認が、S3Uの発行には検証が、それぞれVerraの承認を受けた独立した第三者機関(VVB)によって行われる必要があります。これにより、ユニットの環境十全性と信頼性が担保されます。
Verra Scope 3 Standard まとめ
VerraのScope 3 Standardプログラムは、これまで課題の多かった企業のScope 3排出量削減の取り組みに、信頼性と透明性をもたらすことを目指す枠組みです。バリューチェーン内のプロジェクトを第三者検証で認証し、対象製品とのつながりを持つ企業による共同報告を認めることで、バリューチェーン全体での協働と共同投資を促進することが期待されます。2026年9月時点ではプロジェクトの事前掲載が始まった段階で、ユニットの発行や報告企業向けの仕組みは今後順次導入されます。
この新しい制度を有効に活用するためには、プログラムの要件を正確に理解し、プロジェクトの計画段階から厳格なデータ管理とモニタリング体制を構築することが不可欠です。そして、そのプロセスの妥当性を客観的に証明する第三者検証の役割は、ますます重要になるでしょう。Scope 3対策は、もはやコストではなく、企業の競争力を左右する重要な経営課題となっています。
参考リンク
Verra Scope 3 Standard Program https://verra.org/programs/scope-3-standard-program/
Verra Scope 3 Standard (S3S) Program: FAQs https://verra.org/programs/scope-3-standard-program/scope-3-standard-s3s-program-faqs/
Verra Scope 3 Standard v1.0 https://verra.org/documents/scope-3-standard-v1-0/


