カーボンクレジットは「排出削減の免罪符」ではなく、自社の削減努力を補完し、競争優位とレピュテーション向上を同時に叶える経営ツールへと進化しています。本稿では、基本原則、SBTやICPとの関係、国内外先進企業の活用事例、規制対応と自主的オフセットの違い、効果測定・第三者保証の勘所までを体系的に整理し、貴社が信頼性の高いクレジット活用戦略を設計するための実践的な視点を提示します。


1.企業の脱炭素戦略とカーボンクレジット
企業が自社のカーボンフットプリントを削減する戦略を立てる際、まず基本となるのは自社の排出削減努力を最優先し、どうしても削減しきれない残余の排出に対してカーボンクレジット(オフセット)を活用するという考え方です。
カーボンオフセットの考え方
環境省も「カーボン・オフセットとは、まず自ら削減努力を行い、それでも排出される温室効果ガスについて、排出量に見合った削減活動等に投資することで埋め合わせる考え方」と定義しています。したがって、クレジットは決して排出削減の「免罪符」ではなく、自社の排出削減計画(省エネや再エネ導入、工程改善等)を最大限実行した上で、その達成が難しい部分を相殺するための補完的手段として位置付けることが重要です。この原則に基づき、多くの企業が脱炭素戦略の中でクレジット活用を検討しています。
SBT
SBT(科学的目標イニシアチブ)に基づき2030年までに自社排出を〇〇%削減するといった短期目標を掲げつつ、達成後段階で残る排出をクレジットでオフセットする、といった計画があります。国際的なガイドラインでも、企業の短期目標にはクレジットの使用を認めず、自社排出の実質ゼロ化段階(2050年前後)で高品質な除去クレジットを用いることが推奨されています。
ICP(インターナルカーボンプライシング)
また、企業内でカーボンプライシング(社内炭素価格)を導入し、排出1トン当たりのコストを試算する際に、市場クレジット価格を参考にするケースもあります。これにより、削減投資とオフセット購入のどちらが効率的かを判断し、最適な資源配分を行う戦略も見られます。
2. 主要企業の導入事例(日本企業・海外企業)
カーボンクレジット活用の先進事例を紹介します。
Googleは2007年末までに自社のカーボンニュートラル(運用上の温室効果ガス排出ゼロ)を達成することを宣言し、実際に排出削減とクレジット購入によって2007年以降カーボンニュートラルを継続してきました。現在では更なる進化として、24時間365日すべての電力を無炭素化する取り組みを進めつつ、一部で炭素除去クレジット(直接空気回収によるCO2除去など)への投資も行っています。
Microsoft
またMicrosoftは2030年までに「カーボンネガティブ」(排出より除去が多い状態)になると宣言し、2050年までに創業以来の累積排出を全て除去する目標を掲げました。この目標達成のため、森林再生や土壌炭素蓄積、DACCSへの大規模投資を行い、高品質な除去クレジットを確保しています。これらIT企業は自主的に気候対策のリーダーシップを取り、大胆にクレジット市場を活用することで知られます。
日本航空(JAL)
早くも2009年に「JALカーボンオフセット」プログラムを開始し、搭乗者がフライト由来のCO2排出分を自主的にオフセットできる仕組みを提供しています。近年では企業の出張など法人需要にも対応し、顧客と一緒にクレジット活用を進めています。
東京2020オリンピック・パラリンピック
大会組織委員会が全国から約438万トン分ものクレジットを集め、大会関連の排出(約196万トン)を全量オフセットしました。この事例は自治体や企業が協働で大量のクレジットを調達・活用した成功例として注目されました。
その他の国内企業
丸紅や三菱商事といった商社は自社のカーボンニュートラル達成に向けJ-クレジットの大量購入や森林再生活動への投資を発表しています。さらに、自動車メーカーや化学メーカーの中には、一部製品(タイヤやプラスチック製品など)について原料調達から製造・廃棄までのライフサイクル排出を算定し、それをオフセットして「カーボンニュートラル製品」として販売する動きもあります。例えば、あるタイヤメーカーは販売するタイヤの製造時排出を全てクレジットでオフセットし、カーボンニュートラル認証を取得しています。これにより環境志向の顧客にアピールする戦略です。
3. 排出量取引などの規制対応と自主的カーボンオフセットの取り組み
企業が排出権を活用する動機には、大きく2つあります。
規制への対応
1つは規制への対応です。例えば、EU-ETSの対象となる製鉄所や発電所を保有する企業は、排出枠超過分を埋め合わせるため排出枠を購入する必要がありますし、国際航空業界では2021年以降、排出増加分をオフセットするCORSIA制度に沿って航空会社がクレジット調達を求められています。こうした場合、クレジット購入はコンプライアンス(法令順守)上の要請であり、企業は適切な種類のクレジットを決められた期間内に確保しなければなりません。規制対応としてのクレジット調達は、事業継続のコストとして計画的に組み込む必要があります。
自主的なカーボンオフセット
もう1つの動機は自主的なカーボンオフセットです。こちらは法的義務はないものの、企業の気候変動対策やCSRの一環として行われるものです。自社オペレーション(Scope1・2)や製品のバリューチェーン(Scope3)から出る温室効果ガスを自主的にオフセットし、「カーボンニュートラル宣言」を達成する企業が増えています。先述の事例のように、IT企業や航空会社、イベント主催者などが自主オフセットに取り組んでいるほか、近年では金融機関が自社の投融資ポートフォリオの間接排出をオフセットする動きもあります。自主オフセットは企業イメージ向上や顧客ニーズへの対応につながるため、競合他社との差別化施策として重要性を増しています。
透明性とコミュニケーション
自主的オフセットを行う際には、透明性の確保とコミュニケーションが鍵となります。どの範囲の排出をどれだけクレジットで埋め合わせたのか、使用したクレジットの種類やプロジェクト内容、それによって達成した削減効果などを明確に開示することが求められます。信頼性の高い企業は、第三者認証を取得して自社のカーボンオフセットを保証するケースもあります。例えば、英国発のPAS2060や国際規格ISO 14064-2に基づきカーボンニュートラル認証を取得したり、日本では環境省が提供する「カーボン・オフセット/カーボンニュートラル認証ラベル」を申請して表示する企業もあります。これらにより、ステークホルダーに対してオフセットの信頼性を示すことができます。
4. カーボンクレジットの効果測定
企業がクレジットを活用した際、その効果を適切に測定・報告することも重要です。効果測定としては、「何トンのCO2排出をオフセットしたか」という量的指標が基本になります。例えば「今年度の事業活動由来のCO2排出1,000トンに対し、1,000トン相当のカーボンクレジットを無効化(償却)しカーボンニュートラルを達成」といった形です。これを社内KPIやサステナビリティレポート上の指標として管理します。
カーボンクレジットのオフセット
報告面では、GHGプロトコルなど国際基準に則って排出量とオフセットの情報開示を行います。一般に、排出実績(Scope1,2,3)はオフセット適用前の値(Gross排出量)をまず開示し、その上で「〇〇トンをクレジットでオフセットし、Net排出量はゼロ」といった表現で報告するのが望ましいとされています。これは、排出削減努力の状況とオフセットによる中和を分けて示すためです。また使用したクレジットの種類(例:J-クレジット○○プロジェクト由来××トン、VCS森林プロジェクト由来××トン)や、オフセットの対象範囲(Scope1のみ、事業所運営由来、製品出荷分など)についても注釈等で明示します。日本企業の場合、環境報告書や統合報告書でカーボンニュートラルの達成状況を開示する際に、そうした情報を記載する例が増えています。
第三者保証
さらに、外部への信頼性を高めるため、第三者保証を付与することも有効です。排出量算定やオフセット実施について会計監査法人やISO検証機関などによる保証を受ければ、報告内容への信頼が増します。投資家や顧客に対しては「自社排出はこの程度で、ここまで削減し、残りを高品質なオフセットで相殺している」というストーリーをデータに基づき伝えることが重要です。
5. まとめ
カーボンクレジットは、企業の脱炭素経営において不可欠なツールの一つとなりつつあります。ただその活用にあたっては、自社の削減努力とのバランスやクレジットの質に十分配慮しなければなりません。まずは排出削減を徹底し、どうしても避けられない排出のみを信頼できるクレジットでオフセットするという基本を守ることが、グリーンウォッシング批判を避け企業価値を高める鍵です。
幸い、昨今は高品質なクレジットが入手しやすくなり、認証ラベルなど成果を示す手段も整ってきました。適切にカーボンクレジットを活用すれば、企業はカーボンニュートラルやネットゼロ目標を効率的に達成でき、気候変動対策に積極的な企業としての評価を獲得できます。今後も国内外の制度や市場動向を注視しながら、クレジット活用を自社のサステナビリティ戦略に組み込んでいくことが求められるでしょう。
引用
カーボン・オフセットガイドラインVer.3.0
https://www.env.go.jp/content/000209289.pdf
カーボンクレジットの活用に関する動向と課題
https://www.env.go.jp/content/000061236.pdf
我が国におけるカーボン・オフセットのあり方について(指針)
https://www.env.go.jp/content/000209286.pdf

