GHGプロトコルのScope2ガイダンス改定について、2026年7月29日に大きな節目となる発表が2つありました。ひとつは、2025年10月から2026年1月にかけて実施された改定草案へのパブリックコンサルテーションの結果公表です。もうひとつは、GHGプロトコルとISOが企業向けの算定基準を統合するという発表です。
意見公募に寄せられたのは56カ国から1,072件でした。そこから見えてきたのは、事前に広く流布していた「マーケット基準は廃止される」という見立てとは、かなり異なる姿です。本記事では、改定草案が実際に何を提案しているのか、パブコメがそれをどう評価したのか、そして日本企業がいま何をすべきかを、第三者検証機関である株式会社サステナビリティスタンダードパートナーズ(SSP)が一次情報にあたって整理します。

Scope2改定 要約
改定草案はマーケット基準を廃止しません。ロケーション基準との併記というデュアルレポーティングの構造は維持されます。争点は、マーケット基準を使うための品質要件をどこまで厳しくするかにあり、具体的にはデリバラビリティと時間単位のマッチングが提案されました。ただし意見公募の結果はこの2つに対して否定的で、議論は複数の報告アプローチを探る段階に入っています。
Scope2改定 これまでの経緯
改定議論がどこまで進んだのかを見誤らないために、まず時系列を押さえます。
| 時期 | 出来事 |
|---|---|
| 2015年 | 現行のScope2ガイダンスが公表される。ロケーション基準とマーケット基準の併記を求めるデュアルレポーティングが基本構造として定まる |
| 2022年〜2023年 | 改定の要否を問うステークホルダーサーベイを実施。Scope2ガイダンスに関する回答は約400件 |
| 2025年7月14日 | 独立基準委員会が、ロケーション基準とマーケット基準双方の改定案を意見公募にかけることを賛成10・反対1で承認(公表は2025年8月1日) |
| 2025年10月20日〜2026年1月31日 | 改定草案へのパブリックコンサルテーションを実施 |
| 2026年7月29日 | 意見公募の結果を122ページの要約として公表。同日、ISOとの基準統合を発表 |
ここで注意したいのは、しばしば混同される2023年のサーベイと2025年から2026年にかけてのパブコメが、まったく別のものだという点です。前者は改定の必要性そのものを問うもの、後者は具体的な条文案に対する意見公募でした。1,072件という数字は後者のものです。この2つを取り違えると、議論の到達点を数年単位で読み違えます。
Scope2改定 草案が変えようとしていること
GHGプロトコルは公式のFAQで、提案する枠組みは企業が慣れ親しんだロケーション基準とマーケット基準のデュアルレポーティング構造を維持すると明記しています。つまり改定の主眼はマーケット基準の存廃ではありません。マーケット基準を使うための品質要件をどこまで厳しくするかが争点です。草案が提案した要件は次の4つに整理できます。
デリバラビリティ
すべてのマーケット基準報告に適用される要件です。証書の発行元となる電源が、報告する企業と電気的に接続された系統を通じて実際に電力を供給しうる範囲にあることを求めます。国単位や大陸単位という広い市場境界を、系統の物理的なつながりに置き換える考え方です。
時間単位のマッチング
一定規模を超える大口消費者の任意クレームに適用されます。証書と電力消費を同じ1時間の枠で対応させる考え方です。閾値を下回る組織には免除措置が置かれ、年次や月次のデータからロードプロファイルを用いて時間別データを近似する方法も認められます。
残余ミックスの定義更新
証書として環境価値が主張された分を除いた残余ミックスの排出係数を用います。残余ミックスが利用できない場合は化石電源のみの係数を使う設計で、二重計上の防止が狙いです。
ロケーション基準の精緻化
活動量データが得られる範囲で、入手可能な最も精細な排出係数を用いることを求めます。系統平均の粗い係数に頼る運用からの脱却が意図されています。
| 項目 | 現行ガイダンス(2015年版) | 改定草案 |
|---|---|---|
| 基本構造 | デュアルレポーティング | デュアルレポーティングを維持 |
| マーケット基準 | 契約に基づく排出係数を使用可能 | 存続。デリバラビリティを全報告に適用し、大口には時間単位マッチングを追加 |
| 市場境界 | 国や大陸など広い単位 | 電気的に接続された系統の範囲 |
| 時間的整合性 | 年単位でのバランスが一般的 | 大口消費者は時間単位。中小は免除措置あり |
| 追加性 | 算定要件ではない | 算定要件としては導入されていない |
| 残余ミックス | 定義と運用にばらつき | 定義を更新。利用できない場合は化石電源のみの係数 |
Scope2改定 パブコメが示した評価
結果は、GHGプロトコルにとって楽観できるものではありませんでした。主要な提案の多くが、支持を得られていません。
| 提案された要件 | パブコメの反応 | 示された懸念 |
|---|---|---|
| 時間単位マッチングの品質基準 | 回答909者のうち70%が「ほとんど、あるいはまったく支持しない」 | 任意の再エネ調達スキームへの参加意欲をかえって削ぐ |
| 小規模組織への免除 | 回答748者のうち76%が賛成 | 実務負担への配慮そのものには広い支持 |
| デリバラビリティ要件 | 回答875者のうち59%が反対。賛成30%、中立11% | 市場境界を狭めると、脱炭素の余地が大きい地域への投資を妨げる |
| ロケーション基準の精緻化 | 賛成40%、反対44%、中立17% | 賛否が拮抗。データ入手可能性の地域差が背景 |
一方でGHGプロトコルは、電力の排出量算定について正確性と比較可能性と完全性を高めること自体には幅広い支持があるとも総括しています。方向性は支持されているが、提案された手段は支持されていないという構図です。
この結果を受けて独立基準委員会は、マーケット基準について複数の報告アプローチを検討するよう技術作業部会に指示しました。単一の厳格な基準に収れんさせるのではなく、複線的な選択肢を用意する方向へ議論が動いています。
誤解されやすい3つの見立て
マーケット基準は廃止される
意見公募にかけられた草案に、マーケット基準を廃止する提案は含まれていません。ロケーション基準への一本化も同様です。廃止論は改定議論の初期に論点のひとつとして存在しましたが、草案には採用されませんでした。この見立てを前提に再エネ調達戦略を組み直すのは、現時点では合理的ではありません。
追加性が算定要件になる
改定草案は、インベントリ算定の要件として追加性を導入していません。導入が提案された品質基準はデリバラビリティと時間的マッチングです。追加性をめぐる議論は、Actions and Market Instrumentsという別の基準開発の枠組みで扱われており、これはインベントリの外側で企業の取り組みを評価する仕組みです。この2つを混同すると、対応の優先順位を誤ります。
まだ数年先の話
草案はすでに公開され、第1回の意見公募は終了しています。2026年中の第2回意見公募は予定されておらず、次の意見公募は2027年第2四半期に予定されるISOとの統合ドラフトに対するものです。Scope2について追加の意見公募を行うか否かは、その時点で独立基準委員会が判断します。基準が確定してから動いたのでは、電力調達契約の更新サイクルには間に合いません。
ISOとの統合が意味すること
2026年7月29日、GHGプロトコルはISOと企業向けの算定基準を統合すると発表しました。GHGプロトコルのScope1とScope2とScope3およびActions and Market Instrumentsの各基準と、ISO 14064-1を、単一の調和された基準にまとめる構想です。統合案の意見公募は2027年第2四半期、公表は2028年第4四半期が予定されています。
両者は2025年9月に戦略的パートナーシップを発表しており、今回の統合はCOP30の行動計画にも位置づけられています。2025年8月の時点では、改定後のScope2基準を含むコーポレート基準一式の公表は2027年末が計画されていました。統合の発表により、最終的な着地点は2028年第4四半期の統合基準になる見通しです。
検証機関の立場から見ると、この統合の意味は小さくありません。GHGプロトコルは事実上の国際標準として広く使われてきましたが、位置づけとしては任意の基準であり、第三者検証の実施基準にはISO 14064-3などが用いられてきました。算定側の基準と検証側の基準が同じ体系に収まることで、算定から検証までの接続はより明確になります。
日本企業にとっての焦点
日本の再エネ調達は非化石証書が中心です。FITと非FITのいずれについても、改定草案の品質要件を日本の環境に当てはめると、次の3点が焦点になります。
デリバラビリティの判定単位
日本が地域間連系線で結ばれた単一の系統圏として扱われるのか、エリアごとに区切られるのかが分かれ目です。エリア単位で判定される場合、他エリアの電源に由来する証書の扱いが変わりえます。
時間単位マッチングへの対応可能性
非化石証書は年間単位での取引が基本で、時間単位の属性情報は現状では整備されていません。仮に要件化されるなら、証書側のトラッキング基盤の整備が前提になります。個社の努力だけで解決できる論点ではありません。
免除の閾値
時間単位マッチングは大口消費者を対象とする設計であるため、自社が閾値のどちら側に立つかで対応の重さが大きく変わります。まず自社がどちらに該当しうるかを把握することが出発点になります。
ただし、これらはいずれも草案段階の話であり、しかもパブコメで支持が得られていない要件です。確定事項として社内計画に織り込むのは適切ではありません。
いま着手すべきこと
確定していない基準に先回りして投資するのは合理的ではありません。一方で、どの結論に着地しても無駄にならない準備はあります。
| 着手すること | 具体的に何をするか |
|---|---|
| 保有する証書の属性を棚卸しする | 発行元の電源種別、所在エリア、運転開始年、トラッキングの根拠を整理する。どの要件が採用されるにせよ、この情報がなければ該当性の判定すらできない |
| 電力調達契約の更新時期を一覧化する | 更新のタイミングと、想定される基準確定時期を並べて確認する。基準が固まってから契約を見直すのでは間に合わない |
| 感応度を試算する | 保有証書の一部が使えなくなった場合に、自社のScope2がどれだけ動くかを試算する。精緻な見積もりよりも振れ幅の把握が先 |
| 2027年第2四半期の統合ドラフトの意見公募に参加する | 日本の非化石証書の実情は、意見として提出されなければ設計に反映されない |
| 算定データの信頼性を確保する | 第三者保証はScope1とScope2とScope3の排出量データの信頼性を検証するものであり、この土台は基準がどう変わっても変わらない |
Scope2改定 よくある質問
改定はいつ確定しますか
第1回の意見公募は2026年1月に終了し、その結果が同年7月に公表されました。2026年中の第2回意見公募は予定されていません。次の意見公募はISOとの統合基準として2027年第2四半期、公表は2028年第4四半期に予定されています。Scope2について追加の意見公募を行うか否かは、統合ドラフトの公募時点で独立基準委員会が判断します。
いま保有している非化石証書は無効になりますか
草案は、既存の証書を一律に無効とする提案をしていません。論点は、どの証書がマーケット基準の報告に使えるかという要件の設計です。加えて、要件の適用にあたっては移行期間と段階的な導入が想定されています。
Scope2の排出量は増えますか
マーケット基準が維持される以上、ただちに大幅な増加が生じる設計にはなっていません。ただし、デリバラビリティや時間単位マッチングの要件が採用され、保有する証書がそれを満たさない場合には、その分がマーケット基準の値に反映されます。感応度の試算が必要なのはこのためです。
第三者保証の位置づけはどうなりますか
算定の要件が細分化されるほど、解釈と判断を要する箇所が増えます。排出量データの信頼性を客観的に示す手段として、第三者保証の重要性は高まると考えられます。ISOとの統合により算定基準と検証基準の体系が揃うことも、この方向を後押しします。
Scope2改定 まとめ
Scope2改定をめぐる議論は、マーケット基準の存廃という単純な図式では捉えられません。基準そのものは維持されたうえで、それを使うための品質要件をどこまで求めるかが争点であり、しかも2026年7月に公表されたパブコメの結果は、提案された要件に対して否定的でした。議論は収束に向かっているのではなく、複数の報告アプローチを探る段階に入っています。
同時に、GHGプロトコルとISOの統合により、2028年には算定基準の枠組みそのものが姿を変えます。企業に求められるのは、確定していない要件に賭けることではありません。どの結論に着地しても自社の調達実態を説明できるだけのデータを、いま手元に揃えておくことです。
参考リンク
Greenhouse Gas Protocol 標準開発に関する主要アップデート
https://ghgprotocol.org/blog/ghg-protocol-announces-key-standard-development-updates
Greenhouse Gas Protocol パブリックコンサルテーション
https://ghgprotocol.org/ghg-protocol-public-consultations


