シナリオ分析は、TCFD提言の中でも特徴的な手法で、将来の気候変動シナリオに基づき企業の戦略や事業への影響を評価するものです。不確実な将来を見据え、たとえば地球温暖化を「2℃未満に抑えた世界」と「4℃近くまで進行した世界」の両シナリオを想定して自社の収益やリスクを試算します。これにより、気候リスクの定量化と戦略のレジリエンス(耐性) 評価が可能となり、投資家への開示情報としても価値が高まります。本記事では、TCFDにおけるシナリオ分析の目的と重要性、具体的な進め方 (ステップ)、および実務上のポイントや注意点について解説します。


TCFD 要約
TCFD提言が推奨するシナリオ分析とは、気候変動や関連する政策の将来シナリオを設定し、そのそれぞれの下で自社事業がどのような影響を受けるかを詳細に分析・予測する手法です。将来の不確実性に備え、戦略の耐久力を検証するために活用されます。
TCFD 結論
シナリオ分析は、企業が気候変動による将来の事業環境変化をあらかじめ想定し、戦略の柔軟性と耐性を高めるための強力なツールです。TCFDに沿って2℃シナリオや4℃シナリオなど複数のシナリオで事業影響を評価することで、気候リスクの定量化と具体的な対策検討が可能となります。結果として、自社の長期的な財務インパクトを投資家に示せるだけでなく、リスク管理上も「最悪の場合」を織り込んだ計画策定ができます。一方で、シナリオ分析は仮定の置き方やデータ次第で結果が変わるため、客観的な外部データの活用や定期的な見直しが重要です。総じて、シナリオ分析を適切に実施することで、気候変動への備えと情報開示の質を飛躍的に向上させることができます。
TCFD 背景
TCFDがシナリオ分析を重視するのは、従来の財務報告では捉えきれない長期かつ不確実な気候影響を企業が考慮するよう促すためです。気候変動は今後数十年で規制強化や市場変化、物理的影響をもたらし、その程度は世界の温暖化対策シナリオによって大きく異なります。TCFD提言 (2017年)では、「2℃以下シナリオを含む異なる気候関連シナリオ」を考慮して戦略のレジリエンスを説明すべきとされました。企業が自主的にシナリオ分析に着手していますが、当初はどのようなシナリオを選ぶべきか、データをどう入手するか等で試行錯誤がありました。こうした中、各国政府や国際機関がシナリオ分析のガイドラインや事例を提供し始め、日本でも環境省が「TCFDシナリオ分析実践ガイド」を公表しています。また、投資家側も企業に対しシナリオ分析結果の開示を求める動きが強まっており、CDPの質問票など他の開示枠組みにもTCFDのシナリオ分析が組み込まれています。要は、シナリオ分析は単なる報告項目ではなく、企業の気候戦略立案の中核になりつつあるのです。
TCFD 定義
シナリオ分析とは、将来起こり得る複数の気候変動シナリオ (温度上昇の程度や政策対応のシナリオ)を想定し、その下で自社の事業・財務がどのような影響を受けるかを検討するプロセスです。SSPでは、シナリオ分析を単にリスクを把握するだけでなく、「気候変動による戦略上の脆弱性と機会を明らかにするためのシミュレーション」と位置付けています。分析結果は中長期戦略や投資計画に反映され、気候レジリエンス強化に役立ちます。
TCFD 論点
| 論点 | 解説のポイント |
| シナリオ選定 | 何種類のシナリオを使うか (例: |
| 前提条件とパラメータ設定 | 各シナリオにおけるGDP成長率、炭素価格、技術展開速度などの前提をどう設定したか。外部データ (IEAレポート等)の参照有無。 |
| 事業インパクトの評価方法 | シナリオごとに売上・コスト・資産価値等へ具体的にどう影響が出るかの算定方法。定性的評価に留まっていないか。 |
| 社内体制と理解促進 | シナリオ分析を行うための社内横断チームの構築状況。経営層や関連部門への教育・合意形成のプロセス。 |
TCFD 比較
| 特性 | 移行シナリオ(低炭素経済への移行) | 物理シナリオ(気候変動の物理的影響) |
| 目的 | 気候政策・技術進展による規制や市場変化を検証 | 気温上昇に伴う自然災害・慢性的影響を検証 |
| 例 | 炭素税導入によるコスト増、EV普及による需要変化 | 海面上昇による工場浸水リスク、猛暑による生産性低下 |
| 時間スケール | 中長期(2030年~2050年) | 長期(2050年~2100年) |
| 不確実性の要因 | 政策導入のタイミング・強度、技術ブレイクスルー | 気候感度(温度上昇幅)、災害頻度の将来予測 |
| 分析の主な難点 | 経済モデルに組み込む前提選択による結果ぶれ | ローカルな被害推計や長期予測の不確実性 |
TCFD 重要点
適切なシナリオの選び方
シナリオ分析の第一歩はどのシナリオ群を選定するかです。TCFDでは最低でも「2℃以下シナリオ」を含めることが推奨されていますが、実務上は自社の業種・リスク特性に応じて複数のシナリオを検討します。一般的には、移行面で厳しいシナリオ(パリ協定目標が達成され炭素税等が高水準となるケース)と、物理面で厳しいシナリオ (温暖化が進行し自然災害が激甚化するケース)の両極を用意します。例えば、国際エネルギー機関(IEA)の 「ネットゼロ2050シナリオ」とIPCCの 「RCP8.5 (4°C以上上昇) シナリオ」を選ぶ、といった形です。重要なのは、シナリオ間で前提の多様性を確保し、将来の不確実性をカバーすることです。また、自社の主要リスク要因(政策規制か物理リスクか)に照らし、適切な組み合わせを選びます。業界ベンチマークとして同業他社が採用するシナリオも参考になりますが、最終的には経営層がリスク認識を持てるシナリオであることが肝要です。シナリオを選定したら、その詳細前提(炭素価格、技術普及率等)を社内で共有し、前提条件への理解を合わせておきます。
分析結果の定量化と戦略への組込
シナリオ分析の価値は、得られた示唆を経営戦略に反映することにあります。そのためには、分析結果をできるだけ定量的に表現することが重要です。例えば、2℃シナリオでは2030年に炭素税が○○円/トンとなり、当社の年間コストは△△億円増加する、といった具体的な試算を行います。一方で4℃シナリオでは、工場の水害リスクによる損失が2030年までに累計◇◇億円に上る可能性がある、という具合です。このように金額や数値で示すことで、経営陣もリスクの深刻さを実感できます。分析結果は、中期経営計画や投資計画の見直しに活用します。例えば、移行リスクが大きいシナリオでは生産設備の低炭素化投資を前倒しする、物理リスクが大きいシナリオでは災害対策費用を積み増す、といったアクションに結びつけます。また、開示面では各シナリオでの財務影響レンジ(「最良ケース~最悪ケース」)を示すことで、投資家にリスク耐性を説明できます。ただし、数値には不確実性が伴うため、前提の不確実性や感度分析の結果(例えば前提が変わった場合に損失額がどれだけ変動するか)も補足すると透明性が高まります。最後に、シナリオ分析は一度やって終わりではなく、最新の科学や経済動向を踏まえ定期的にアップデートすることが重要です。
TCFD 手順
スコープ設定とチーム編成
シナリオ分析の目的・範囲を決めます (分析対象事業、期間、評価指標など)。同時に、社内に横断的プロジェクトチームを立ち上げます。経営企画・財務・環境・各事業部門から人員を集め、トップによる後援を得ます。
リスク・機会項目の洗い出し
対象事業に関連する気候リスク・機会の項目を一覧化します。移行リスク(規制、技術、市場、評判)と物理的リスク (急性・慢性)について網羅的に洗い出し、影響を受けそうな項目を漏れなく列挙します。各項目について起こりうる事業インパクトを定性的、に整理し、重要度を仮評価します。
シナリオ群の選定と前提設定
分析に用いるシナリオ群を決定します。典型的には「2℃シナリオ」と「4℃超シナリオ」のように、将来像の異なる2~3種類を選びます。各シナリオについて、外部報告書(IEAのシナリオ、IPCCシナリオ等)からGDP、排出量、炭素価格、エネルギーミックスなどの前提データを収集します。信頼性の高いデータを用い、前提の妥当性を社内で確認します。
事業インパクト評価
シナリオごとに、前提データを基に自社の財務指標へのインパクトを試算します。リスク項目ごとに「数量的影響 価格変動」で増減額を算出するなど、算定式を設計します。算定が難しい場合も、段階的に影響度(高・中・低)を定量評価します。その結果、将来的な売上減、コスト増、資産価値減少などの見通しをシナリオ別に把握し、重要リスクの順位づけを行います。
対応策の定義
分析結果を踏まえ、各シナリオで顕在化する主要リスクへの対応策を検討します。例えば、移行リスクによるコスト増に対して省エネ投資やカーボンプライシング戦略を策定する、物理リスクによる被害に備えて保険や事業継続計画を強化するといった具合です。検討した対応策は実行可能性・費用対効果を評価し、中期計画に反映させます。このステップは、社内を巻き込みながら、事業計画にシナリオ分析を組み込んでいく統合のプロセスに当たります。
文書化と情報開示
シナリオ分析の位置付けや、1~5までの各ステップの検討結果を記載します。対照表などを活用しながら、シナリオ分析の全体像をできるだけ分かりやすく示すことが重要です。その際には、「何を」「どこまで」 開示するかの判断が必要になります。また、分析結果はTCFD開示の戦略項目で説明します。
TCFD FAQ
シナリオはどれを使えばよいでしょうか?
業種や分析目的によりますが、基本は少なくとも2種類 (政策対応が進んだ世界と進まなかった世界)を選ぶと良いです。具体的には、IEAやIPCCなど国際機関が提供するシナリオが信頼性も高く一般的です。例として、「IEAのSDS(持続可能開発シナリオ、2℃未満)」と「IPCCのRCP8.5シナリオ (4°C以上)」などです。他にも国・地域の政策目標(例えば日本のカーボンニュートラル2050) が達成された場合を独自シナリオにするケースもあります。重要なのは、自社の主要リスクに対応したシナリオを含めることです (炭素規制が肝なら移行シナリオ、自然災害が懸念なら物理シナリオに重点)。
社内に専門知識がなくても実施できますか?
最初は専門知識がなくても外部のガイドやコンサルティングを活用して始めることができます。環境省の実践ガイドやTCFDコンソーシアムの事例集が参考になります。また、シナリオ分析は一部仮定に基づく試算なので、完璧な精度は求めすぎないこともポイントです。社内の財務・プランニング部門と連携し、通常の事業計画策定の延長線上で考えると取り組みやすくなります。徐々に知見を蓄積し、毎年アップデートしていく中で社内のスキルも向上していきます。
データ不足の場合はどうすればいいですか?
気候シナリオ分析では自社だけでは入手困難なデータも多くあります。基本的には外部の公開データを最大限活用しましょう。IEA、IPCC、気象庁、各国政府の公表値など信頼できるデータソースから、温度上昇、降水量変化、炭素価格予測、技術コスト推移などを取得します。また、民間の気候リスク分析サービスを利用する手もあります。自社データとしては、設備やサプライチェーンの所在情報、エネルギー消費量などを整理しておきます。データがどうしても不足する部分は、近似値や専門家の意見を参考に仮定を置き、感度分析を行って結果のブレ幅を示すようにします。
TCFD 章解説
TCFD全般の位置付けや他の開示要素 (ガバナンス・リスク管理、財務影響算定、指標と目標)との関係については、親記事にて総括的に解説していますので、併せてお読みいただくことでシナリオ分析の役割がより明確になります。
TCFD まとめ
シナリオ分析は、気候変動という将来の不確実なリスクに企業が戦略的に備えるための不可欠なプロセスです。適切なシナリオを選定し綿密に分析することで、自社の脆弱性と強みが浮き彫りになり、レジリエンス向上につながる施策を講じることができます。TCFD開示においてシナリオ分析結果を示すことは、投資家に対して「この企業は将来を見据えている」という強いメッセージとなります。また、社内的にも長期視点での意思決定を促し、従来は見過ごしがちだったリスクや機会を掘り起こす効果があります。データ収集や専門知識などハードルもありますが、継続的に取り組むことで有用性は高まります。シナリオ分析を自社の気候戦略に組み込み、変化に強い持続可能なビジネスモデルを築いていきましょう。
参考リンク
- TCFDコンソーシアム 「TCFDとは」
- TCFD最終提言(2017年)原文PDF – Scenario Analysis解説部分
- 環境省「TCFDを活用した経営戦略立案のススメ」 (シナリオ分析ガイド)
- 経団連「TCFDシナリオ分析ワークショップ報告書」(2021年)


