インターナルカーボンプライシング(ICP)は、多くの先進企業で既に導入が進んでいます。本記事では、企業におけるICP導入事例を具体的に解説します。日本企業を中心に、各社が社内炭素価格をどのように設定し活用しているか、その背景や得られた効果に注目します。実例を通じて、ICP導入の実態とポイントを把握し、自社で取り組む際の参考にしてください


インターナルカーボンプライシング導入企業の事例
ICPを導入している企業は年々増加しており、業種も製造業からサービス業まで多岐にわたります。その中から代表的な国内企業の事例と、参考となる海外企業の事例を紹介します。それぞれの企業が設定している内部炭素価格や運用方法、導入の背景を見ていきましょう。
JFEホールディングス株式会社(鉄鋼)
日本を代表する鉄鋼メーカーであるJFEホールディングスは、2022年に社内炭素価格を1トンCO2あたり10,000円に設定しICPを導入しました。鉄鋼業は他業種と比べ極めてCO2排出量が大きく、従来の経済性評価だけでなく炭素コストを織り込んだ意思決定が不可欠と判断したためです。背景には、欧米の顧客や国際的な投資家から一段と強まるサステナビリティ要請があり、環境リスクを考慮した経営への転換が求められていました。ICP導入後は、設備投資を検討する際に炭素コストを明確に加味してプロジェクトの採否を判断する運用に切り替え、中長期的視点で排出削減につながる技術・設備への投資が促進されています。重厚長大産業においても、社内に明確な炭素価格を持つことで脱炭素経営への舵取りを加速させた好例と言えます。
引用:https://www.jfe-holdings.co.jp/common/pdf/investor/library/group-report/2022/all.pdf
アステラス製薬株式会社(医薬品)
医薬品業界の大手、アステラス製薬は他社を大きく上回る1トンCO2あたり100,000円という非常に高い内部炭素価格を設定しICPを導入しています。この価格水準は社内外でも注目されており、同社がそれだけ強いコミットメントで低炭素投資を推進しようとしていることの表れです。アステラスは自社の脱炭素戦略として再生可能エネルギー設備や革新的技術への投資を掲げており、風力発電設備導入時には1トンCO2削減あたり約11万円、地熱システム導入では約26.7万円ものコストがかかる試算も公表しています。それでも敢えて内部炭素価格を10万円に設定したのは、将来を見据えて積極的にカーボンニュートラル関連投資を採択する方針を示すためです。高い内部価格によって社内の投資判断基準を引き上げ、設備やプロジェクト選定の段階で思い切った脱炭素投資を後押しする狙いがあります。研究開発型企業ならではの大胆な価格設定で、イノベーション創出と気候変動対策の両立を目指す事例です。
引用:https://www.env.go.jp/content/000045085.pdf
花王株式会社(消費財)
日用品メーカー最大手の花王は、ICPを環境経営の柱に据えています。同社は2019年度からICPを導入し、当初1トンCO2あたり3,500円だった内部炭素価格を現在では18,500円にまで引き上げています。背景には、事業活動に伴うCO2排出量を2040年までにカーボンゼロ、2050年までにカーボンネガティブにするという長期目標があり、その達成に向けた投資判断を変革する必要があったためです。ICP導入後、花王では新規の設備投資や調達活動における評価基準を見直し、社内のあらゆる意思決定にCO2排出コストを組み込む運用を徹底しています。特徴的なのは、サプライヤーとも脱炭素目標を共有し、調達先の協働による排出削減を進めている点です。つまり、自社だけでなくバリューチェーン全体に広げた「拡張型ICP」とも呼べるアプローチで、製品のライフサイクル全体でのCO2削減を狙っています。実際、ICP導入後は環境配慮型製品の開発が加速し、グリーン調達も大きく前進しました。花王の事例は、内部炭素価格を上げていくことで組織の脱炭素行動を強力にドライブし、サプライチェーンを巻き込んだ気候対応を可能にすることを示しています。
サントリーホールディングス株式会社(食品・飲料)
飲料大手のサントリーホールディングスは、2021年からICPを導入し、社内炭素価格を1トンCO2あたり8,000円に設定しています。この価格を用いて設備投資の評価や製造プロセスの改善を行い、2030年までに1,000億円規模の脱炭素関連投資を実施する計画です。サントリーでは、ICPを気候変動対策に資する投資判断の基準として広範に活用しており、新工場建設や設備更新の際には炭素コスト込みでの採算性評価を行っています。トップダウンで価格設定を行うだけでなく、現場の声を反映しながら運用ルールをブラッシュアップしている点も特徴です。実際のオペレーション現場で生じる課題を吸い上げて柔軟にICP運用を改善することで、「絵に描いた餅」に終わらず現場で活きるツールとして定着させています。このように、パイロットプロジェクトでの成果と課題を検証しつつ全社展開を図る戦略が奏功し、ICPの効果を社内文化に根付かせている好例と言えるでしょう。
引用:https://www.suntory.co.jp/softdrink/company/sustainability/environment/climate.html
日立製作所(電機・重工)
総合電機メーカーの日立製作所は、2019年度にICPを導入し、当初設定した内部炭素価格5,000円/トンCO2を現在14,000円/トンCO2へと段階的に引き上げています。狙いは、将来の炭素税リスクに早期対応するとともに、省エネ投資や再生可能エネルギー設備導入の強化でした。グローバルに事業展開する日立では、各国のカーボンプライシング制度を見据えて高めの内部価格を設定し、炭素コストを織り込んだ上で利益計画や投資判断を行う体制を構築しています。実際、14,000円という価格はEUの排出量取引価格にも匹敵する水準で、これを組み込むことでエネルギー効率の悪い設備は実質的に経済性が低下する仕組みになっています。結果として、省エネ改修やクリーンエネルギー化の案件が社内で承認されやすくなり、気候変動対策を経営の主流に位置づけることに成功しています。また、ICP導入にあたっては従業員研修や社内説明を丁寧に行い、「なぜこの価格なのか」「現場への負担とメリットは何か」を共有したことでスムーズな定着を図りました。段階的な価格引き上げも含め、変化に適応する柔軟な運用は他社の参考になるでしょう。
引用:https://www.env.go.jp/content/000172472.pdf
マイクロソフト(Microsoft, 米国IT)
海外企業の代表例として、テック業界のリーダーである米マイクロソフト社の事例を紹介します。同社は2012年に世界に先駆けてICP(内部炭素料金制度)を導入した草分け的存在です。当初は社内の事業運営による直接排出と購入電力由来排出(スコープ1・2)および社員の出張(航空機利用)を対象に$10/トン程度の内部価格を設定し、各部門に炭素料金を課しました。その後、2020年には対象を全社のスコープ3(バリューチェーン全体の間接排出)にまで拡大し、価格も$15/トンへ引き上げています。各部門から徴収した炭素料金は社内のカーボン基金にプールされ、再生可能エネルギーの購入やサステナブル航空燃料の調達、さらには炭素除去技術への投資資金に充てられています。この仕組みにより、マイクロソフトは全社規模でのイノベーション投資をCO2削減につなげることに成功しています。さらに、社内外のステークホルダーと連携し、サプライヤーや顧客にも脱炭素の価値観を波及させる取り組みを行っています。毎年の内部炭素価格は「バランスの産物(balancing act)」と自社で表現するほど慎重に設定されており、高すぎて現場の反発を招かず、それでいて低すぎず行動変容を促す水準を模索しています。このように、社内カーボンプライシングを制度として成熟させ、企業文化にまで昇華させたマイクロソフトの事例は、国際的にも「企業による気候責任と競争力の両立」を体現するモデルケースとして注目されています。
以上、国内外の複数企業のICP導入事例を見てきました。それぞれ業種や企業文化は異なりますが、共通しているのは「将来を見据えて炭素コストを先取りし、経営判断を変える」という姿勢です。内部炭素価格の水準や運用方法は企業ごとに工夫されていますが、どの企業もICPを単なるお題目ではなく実効性ある施策として活用しています。これら事例から、自社でICPを導入する際のヒントをぜひ汲み取ってください。
