TNFD(自然関連財務情報開示タスクフォース)は、気候変動リスクの情報開示を促進したTCFDにならい、自然資本や生物多様性に関するリスク・機会の情報開示を促すグローバルなイニシアチブです。2021年に設立され、企業および金融機関に対し、従来は企業のCSRの一環とみなされがちだった「自然との関わり」を戦略的なリスク管理事項として捉えるよう転換を促すことを目的としています。自然生態系の劣化は企業のサプライチェーンや事業継続性に深刻な影響を及ぼし得るため、「自然関連リスクは金融リスクである」との認識が広がっており、企業価値や財務健全性に直接関わる問題として重要視されています。実際、世界のGDPの半分以上(約50%)は自然からの恩恵に中程度から高い程度で依存しているとの指摘もあり、生物多様性の損失は既に事業に悪影響を及ぼし経済成長を阻害しつつあります。このような背景からTNFDは誕生し、企業が自社の自然への依存度や影響、そこから生じるリスクと機会を体系的に把握・開示できる枠組みを提供しています。

1. TNFDの枠組みと対象企業
TNFDは「ガバナンス」「戦略」「リスク管理」「指標と目標」という4つの柱に沿った開示を企業に推奨しており、計14項目の推奨開示事項から構成されています。
フレーム
この構造はTCFD(気候関連財務情報開示)のフレームワークを踏襲しており、企業が経営体制から戦略、リスク管理プロセス、そして自然関連のKPI設定に至るまで一貫性のある情報開示を行えるよう設計されています。対象となる企業・金融機関に業種の限定はありませんが、特に事業活動が自然資本に大きく依存するセクター(例:農林水産業、食品・飲料、建設、不動産、エネルギー、金融など)では重要性が高いとされています。TNFDの勧告は投資家や債権者にとって比較可能で信頼性の高い情報提供を狙いとしており、気候変動関連情報で培われた知見を土台に、自然関連のリスク・インパクト・依存関係の開示を標準化するものです。企業はこの枠組みを用いることで、自社の事業がどの生態系サービスに依存しているか(例:水資源、土壌の肥沃度、花粉媒介など)や、事業活動が生態系に与えている影響(例:土地利用変化、資源消費、汚染排出)を洗い出し、それらが将来的にビジネスに与えるリスクや機会を評価・報告することが求められます。
2. 世界での採用状況と最新動向
TNFDは発足以来急速に国際的な支持を集めており、企業・金融機関による自主的な採用が拡大しています。
開示状況
2023年9月に最終勧告が公表された後、2024年上期には早くもTNFDの勧告に沿った「第一世代」の開示報告書を公開する企業が出始めました。特に金融業界での関心が高く、グローバルで25%のG-SIB(グローバルシステム上重要な銀行)が自然関連リスクの評価と報告にコミットしているとの報告もあります。これら先行企業の時価総額合計は6兆ドル超、資産運用業界では運用資産合計16兆ドル超に達する規模であり、相当数の大手企業がすでにTNFDに基づく活動を開始していることが示されています。
さらにTNFDのリスク評価指針である「LEAPアプローチ」が世界中で数百の企業・組織に利用され始めており、欧州のサステナビリティ報告基準でもこのLEAP手法を用いた評価が推奨されるなど規制面からも後押しが見られます。TNFD共同議長のクレイグ氏は「自然はもはやCSR上の課題ではなく、企業にとって戦略的なリスク管理課題として広く認識されるようになった」と述べており、2021年の気候変動COP26以降の数年間で企業・投資家の意識が大きく変化した点を強調しています。つまり、気候に加えて自然も企業価値や財務のレジリエンスを左右する重要ファクターであるとの認識が主流化しつつあるのです。
3. 法規制との関連(欧州CSRD、日本の動向など)
TNFDは現時点では自主的なフレームワークですが、各国のルール整備とも整合・連携が図られています。
CSRDとの関連性
特にEUでは2024年度以降、大企業等にサステナビリティ情報開示を義務付けるCSRD(企業サステナビリティ報告指令)が段階的に施行されますが、その報告基準であるESRS(欧州サステナビリティ報告基準)はTNFDの勧告内容と高い整合性を持っています。例えば、ESRSの開示項目はTNFDの14項目を全て包含しており、いずれもTCFDと同様の4つの柱(ガバナンス・戦略・リスク管理・指標と目標)に沿って構成されています。
さらにESRSでは、生物多様性や水資源といったテーマのダブル・マテリアリティ(企業にとっての財務的影響と、企業が環境に与える影響の両面)評価を求めていますが、TNFD枠組みもインパクト重視のマテリアリティ評価に対応できる柔軟性を備えており、両者の親和性が高いことが強調されています。実際、ESRSでは企業が生物多様性や汚染等の重要性評価を行う際にTNFDのLEAP手法の各フェーズを活用できると明記されました。2023年12月にはESRS策定機関であるEFRAGとTNFDが協力協定を締結し、基準間の詳細なマッピングを進めることで企業報告の効率化と一貫性向上を図る動きもあります。
日本政府の動向
一方、日本においても政府・規制当局がTNFDを積極的に支援しています。例えば環境省は生物多様性国家戦略の一環として企業による自然関連情報開示を促進しており、2022年のCOP15で合意された昆明・モントリオール生物多様性枠組みのターゲット15(2030年までに企業による自然への依存・影響の把握と開示を推進)にも資するものとしてTNFDの役割に期待を表明しています。実際、日本政府はTNFDに対して資金支援も行っており、金融庁や経産省も含め国内企業の自発的なTNFD対応を後押しする姿勢です。こうした政策的支援と規制動向により、TNFDに沿った開示は将来的に事実上のスタンダードとなりつつあり、早期に対応を進めることが各企業にとって競争上有利になると考えられます。
4. 実際の導入企業事例
日本企業もTNFDへの対応をいち早く進めています。日本はTCFD提言への支持企業数が世界最多であった経緯もあり、その延長線上で生物多様性分野でも先頭に立つ企業が増えています。2024年10月時点で130社以上の日本の企業・金融機関がTNFD勧告に沿った自然関連リスク評価・開示に着手していると報告されており、市場参加者からの反応は極めて強いものがあります。
日本企業事例
具体的な事例としては、清水建設が2023年にTNFD提言への支持を表明し、2024年から建設・不動産・グリーン電力事業を対象にTNFD勧告に沿った情報開示を開始しました。同社の開示では、自社の1,000箇所超の建設現場について自然への影響度を精査し、優先的に対策すべき「重点地域」を特定するなど、LEAP手法に沿った詳細な分析を実施しています。また食品メーカーの味の素株式会社や飲料大手のアサヒグループホールディングス、総合商社や航空会社など、多様な業種のトップ企業がTNFDの「アーリーアダプター(早期採用企業)」として名を連ねています。損害保険大手の東京海上ホールディングスは1990年代からマングローブ植林に取り組むなど生物多様性を重視してきましたが、TNFDの枠組みに参加することで「自社の自然関連リスクと機会を測定・開示する明確な基準が得られた」と述べています。
https://www.shimz.co.jp/company/csr/environment/tnfd/
https://www.ajinomoto.co.jp/company/jp/sustainability/initiative/biodiversity.html
https://www.asahigroup-holdings.com/ir_library_file/file/sustainabilityreport_jp.pdf
このように、先進的企業はTNFDを活用して自社の自然との関わりを定量的に把握し、戦略や開示に反映し始めているのです。日本発の知見も多く蓄積されつつあり、今後TNFDに沿った実務がより一般化するにつれて、各社はこれら先行事例から多くを学ぶことができるでしょう。
引用
環境省「自然関連財務情報開示 タスクフォースの提言」
https://tnfd.global/wp-content/uploads/2024/02/%E8%87%AA%E7%84%B6%E9%96%A2%E9%80%A3%E8%B2%A1%E5%8B%99%E6%83%85%E5%A0%B1%E9%96%8B%E7%A4%BA-%E3%82%BF%E3%82%B9%E3%82%AF%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%81%AE%E6%8F%90%E8%A8%80_2023.pdf
KDDI株式会社「TNFDレポート2023」
https://www.kddi.com/extlib/files/corporate/sustainability/efforts-environment/biodiversity/pdf/TNFD.pdf
