本記事では、国際サステナビリティ基準審議会(ISSB)の定めるIFRS S1/S2について、その全体像と企業が対応を進める上でのポイントを総括します。IFRS S1(一般開示要求事項)とIFRS S2(気候関連開示)の要点を整理し、あわせてデータ統制・内部監査体制の構築、他の開示枠組みとの調和など、実務的な「進め方」に焦点を当てて解説します。


1. IFRS S1 サステナビリティ全般の開示要求と重要性評価
ISSBのIFRS S1は、企業のサステナビリティに関する財務影響情報の包括的な開示基準です。その目的は、企業が直面するあらゆるサステナビリティ関連のリスクと機会について、投資判断に有用な情報を提供することにあります。IFRS S1ではTCFDにならったガバナンス・戦略・リスク管理・指標目標の4分野での情報開示を求めており、環境・社会・ガバナンス(ESG)全般を対象に企業の取組み状況を明らかにします。
重要性(マテリアリティ)の評価
重要性(マテリアリティ)評価もIFRS S1の要となる要素です。ISSB基準では財務的に重要な情報(シングルマテリアリティ)のみを開示対象とし、企業価値に影響し得るサステナビリティ要因に絞って報告します。この考え方は投資家ニーズに沿ったものであり、EUのダブルマテリアリティ(企業の社会・環境への影響も重視)とは異なる点に注意が必要です。
企業は、自社のESG課題を洗い出した上で財務インパクトの大きいものを特定し、経営会議等で重要テーマとして承認するプロセスを経てIFRS S1開示につなげます。
既存フレームワークの活用
IFRS S1はまた、他のフレームワークの活用を想定している点も実務上有益です。ISSBは既存のSASB基準やCDSBガイダンスを統合する方針を掲げており、IFRS S1では産業別の指標特定にSASB基準等を参照することを企業に求めています。これにより、各社は自社業界特有の重要KPIを漏らさず報告できるようになります。
詳しくは下記の記事で解説していますので、あわせてご参照ください。

2. IFRS S2 気候関連リスク開示とGHG排出量情報
IFRS S2は、気候変動に焦点を当てたISSBの開示基準で、TCFDの枠組みを取り込みつつ具体的な開示項目を規定しています。企業のガバナンス・戦略・リスク管理・指標の各側面について、気候関連の情報を詳細に報告することを求めるものです。
GHG排出量の包括的な開示義務
IFRS S2の特徴の一つが温室効果ガス(GHG)排出量の包括的な開示義務です。Scope1・Scope2・Scope3の全範囲について、自社のGHG排出量を算定し報告するよう要求されています。
これは移行リスク評価に不可欠な情報であり、ISSBはGHG排出量の測定に世界標準のGHGプロトコルを使うことまで明示しています。既にTCFD等でGHG開示を行ってきた企業にとっては、IFRS S2でさらに厳格かつ比較可能な形で報告するステージに移ることになります。
シナリオ分析と目標設定
またIFRS S2では、気候シナリオ分析に基づく事業への影響開示や、ネットゼロ目標等の気候関連目標の達成状況の報告など、投資家が企業の気候レジリエンスを評価する上で重要な情報が求められます。TCFDの推奨事項を完全に内包するため、IFRS S2を適用すればTCFD対応は事実上クリアできる点も企業には朗報です。
Scope3開示の経過措置
もっとも、GHG排出量特にScope3の算定は難易度が高いため、ISSBは初年度適用に限りScope3開示を免除する経過措置も講じています。各企業はこの緩和策を活かしつつ早期にデータ整備を進め、翌年以降の完全開示に備える必要があります。
気候変動は多くの企業にとって最大のサステナビリティ課題であり、IFRS S2対応はその取り組みの透明性を高める絶好の機会です。詳しくは「ISSB/IFRS S2とは?気候関連開示とGHG算定の要点」にて、開示項目やGHG算定のポイントを解説していますので参照ください。

3. データ統制と内部監査による開示準備
ISSB基準への対応では、開示内容の信頼性を確保する社内体制づくりが極めて重要です。具体的には、ESGデータの統合管理や内部統制を強化し、内部監査等のチェック機能を働かせることが求められます。
データ収集プロセスの標準化
まずデータ面では、各種サステナビリティKPIの収集・集計プロセスを標準化し、担当部門の役割分担やデータの出所を明確化する必要があります。例えばGHG排出量なら、工場ごとのエネルギー使用実績を統一フォーマットで集約し、排出係数の適用方法も社内ルール化するといった手順です。また計算過程や根拠資料を保存し、第三者が検証可能なトレーサビリティを確保しておきます。
内部監査部門の関与
その上で、内部監査部門がESG情報を監査対象に含めることが不可欠です。内部監査は財務報告で培った知見を活かし、サステナビリティ情報についてもデータの正確性・完全性・統制プロセスを評価します。たとえば、「GHG算定プロセスにダブルチェックや承認手続きがあるか」「サステナビリティ委員会によるガバナンスは機能しているか」といった点を独立した立場で検証します。内部監査が定期的にESGデータフローを点検し、改善提案を行うことで、開示内容の信頼性向上と継続的なプロセス改善が期待できます。
第三者保証を見据えた対応
グローバルではEUを中心にサステナ情報への第三者保証が義務化される流れであり、内部監査はその社内予行演習としても機能します。内部監査人がESGデータをチェックし是正を促すことで、いざ外部保証人が検証する際に指摘事項を最小化できる利点があります。企業としては、内部統制報告(J-SOX)のESG版を作成するくらいの意気込みで体制を整えることが、ISSB対応の土台を築くことになるでしょう。
これらデータ統制・監査体制の構築については、「ISSB開示へ向けた準備:データ統制と内部監査の実務指針」で詳しく述べていますので、自社の準備状況をチェックする際の参考にしてください。

4. 他の開示基準との整合性と相乗効果
ISSB基準はグローバルな共通土台となることを目指しており、既存の主要フレームワークとも高い整合性を保っています。TCFDとは前述の通り内容が重なり合い、ISSB採用でTCFD対応も同時に果たせます。またEUのCSRD(ESRS)とは2024年に共同ガイダンスが出され、特に気候領域で開示がほぼ相互運用可能なレベルに揃いました。日本のSSBJ基準もIFRS S1/S2を忠実に反映しており、国際整合的な基準運用が進む見通しです。
異なる基準への効率的な対応
もっとも、CSRD/ESRSとは重要性の考え方(ダブル vs シングル)や要求項目数で違いがあります。ISSB基準をグローバル軸に持ちつつ、EU向けにはインパクト情報を追加開示する、というように報告を二層構造で設計すると効率的です。幸いISSBとESRSの共通部分は多いため、両対応が必要な企業でも重複作業を減らすことができます。日本企業の場合、まずISSB/SSBJ基準を念頭に開示基盤を整え、それをベースに必要ならGRIスタンダード等でステークホルダー向け情報を補完する戦略が考えられます。
複数基準への対応ノウハウについては、「ISSBと他基準の整合についてTCFD・CSRD・SSBJ比較」の記事で解説しています。自社が直面する規制要件を洗い出し、ISSBを軸に据えた上で各枠組みの要求をマッピングすることで、過不足ない情報開示を実現しましょう。

5. IFRS S1/S2導入に向けた実践ステップ
最後に、企業がISSB基準対応を円滑に進めるための実践的なステップをまとめます。すでに述べたポイントを踏まえ、段階的に取り組むことで効果的な導入が可能です。
社内理解と体制整備
まず経営層および関連部門にISSB基準の内容・重要性を共有し、社内プロジェクトチームを結成します。サステナビリティ推進室だけでなく、経理財務、法務、各事業部門からメンバーを募り、横断的推進体制を構築します。
ギャップ分析(現状評価)
次に現行のESG情報開示とISSB要求事項を比較し、不足している項目や整備すべきデータを洗い出します。例えば、「Scope3排出量データが未集計」「取締役会へのサステナ関連報告プロセスが未整備」等のギャップを明確化します。
ロードマップ策定
ギャップを埋めるためのアクションプランとスケジュールを定めます。重要課題の特定ワークショップを開催する時期、GHGデータ収集システム導入の検討、内部監査人へのトレーニング実施など、具体的マイルストーンを設定します。日本の場合、金融庁の適用時期動向(おそらく数年以内)も考慮し、逆算して準備期間を確保します。
データ整備とプロセス構築
ESGデータの収集・管理プロセスを実際に構築します。各種テンプレートや手順書を整備し、試行運用して問題点を洗い出します。並行して、サステナビリティ情報の内部統制文書を作成し、経営者によるレビューも受けます。
内部監査の活用
準備段階から内部監査を関与させ、統制設計の有効性をチェックします。内部監査部門が独立した視点でデータ検証・プロセス検討に参加することで、事前にリスクを是正できます。必要に応じて外部アドバイザーの助言も仰ぎます。
初回報告の実施
IFRS S1/S2に準拠した初めての開示を作成します。まずは任意開示や統合報告書等でフォーマットを試し、本番の有価証券報告書(または年次報告書)への組み込みに備えます。初年度はScope3開示免除など緩和策も活用しつつ、無理のない範囲で確実な情報提供を行います。
フィードバックと継続的改善
開示後、投資家や第三者からのフィードバックを収集します。不明瞭だった点や追加が望まれた情報を洗い出し、次年度以降の報告に反映します。また市場や規制の変化(例:ESRS簡素化動向や国内ルール決定)もフォローし、開示内容をアップデートしていきます。
経営トップのコミットメント
以上のようなステップを踏むことで、ISSB基準への対応は決して難攻不落ではなく計画的に進められます。特に重要なのは、経営トップのコミットメントと全社的な巻き込みです。サステナビリティ情報開示はもはや単なるIR活動ではなく、企業価値評価の一部となっています。財務報告と同様に経営課題として位置付け、組織能力を総動員して取り組むことで、競争力強化とステークホルダーの信頼獲得につながるでしょう。
今後、日本でもISSB基準(SSBJ基準)の適用が本格化すれば、適切な開示を行う企業ほど市場で高く評価される時代が到来します。早め早めの準備と改善サイクルの構築によって、自社のサステナビリティ情報開示を成熟させていきましょう。そのプロセス自体が、持続可能な経営への変革を内部から推進する力となるはずです。
IFRS
https://www.ifrs.org/sustainability/knowledge-hub/introduction-to-issb-and-ifrs-sustainability-disclosure-standards/
IFRS S1
https://www.ifrs.org/content/dam/ifrs/publications/pdf-standards-issb/japanese/2023/issued/part-a/ja-issb-2023-a-ifrs-s1-general-requirements-for-disclosure-of-sustainability-rela
IFRS S2
ted-financial-information.pdf?bypass=on
https://www.ifrs.org/content/dam/ifrs/publications/pdf-standards-issb/japanese/2023/issued/part-a/ja-issb-2023-a-ifrs-s2-climate-related-disclosures.pdf?bypass=on


