【SASB】SASB改訂案のポイントと日本企業への示唆

ISSB(国際サステナビリティ基準審議会)は2025年7月、SASBスタンダードの包括的改訂案を公表しました。これは採掘・鉱物加工や加工食品など優先度の高い9業種に対する基準見直しと、温室効果ガスや水資源管理、労働安全衛生など共通トピックに関する指標の横断的修正を含む内容です。本記事では改訂案の要点を整理し、日本企業にとっての影響や今後の対応策について考察します。

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目次

1.ISSBによる包括的改訂の背景

2025年7月3日、ISSBはSASBスタンダードの改訂案およびIFRS S2(気候関連開示)の産業別ガイダンス改訂案の2件の公開草案を発表しました。これはISSBが策定した2024~2026年の作業計画に基づく初の包括的見直しであり、グローバルなステークホルダーから広く意見を募るものです。背景には、ISSBの最初の基準であるIFRS S1/S2が公表されたことで各企業がこれを適用し始めた反面、産業別の詳細指標については従来のSASBスタンダードを参照せざるを得ない状況がありました。そこでSASB基準自体を最新化し、IFRS基準や他の国際フレームワークとの整合性を高める必要性が生じたのです。

改定案のポイント

改訂案のポイントは大きく2つに分けられます。

第一に、優先度の高い9業種に対する包括的レビューを行うこと。具体的には、採掘・鉱物加工セクターの全8産業および食品・飲料セクターの加工食品産業が対象となりました。これらはISSBが2024年時点で「優先セクター」と特定していた分野で、気候変動対応や労働安全など差し迫った課題を抱える業種群です。

第二に、その他の41業種における共通の指標について横断的な調整を行うことです。こちらは上記9業種で改訂された内容を踏まえ、水管理や労働安全衛生といったテーマに関する指標定義を他業種にも整合させる措置です。これにより特定トピックについて業種横断で比較可能性を高めつつ、各業種固有の指標は維持するというバランスを図っています。

なお、これら改訂案への意見募集期間は2025年11月30日までとされ、ISSBは約150日という長めのコメント期間を設けて多様なステークホルダーからのフィードバックを受け付けています。最終的な基準改訂の完了(改訂版の発行)は2026年中を目指す計画です。またISSBは、本改訂とは別に2025年末までに更に3業種(電力ユーティリティ及び発電事業、並びに飲食セクターの2業種)の改訂案も公表予定で、優先業種の見直しを段階的に進める方針を示しています。このように、SASBスタンダード全77業種を一度に改訂するのではなく、優先度に応じてグループごとに順次アップデートしていく戦略が取られています。

2.優先9業種の包括的見直し

改訂案では、まず上記の9業種(採掘・鉱物加工の8産業+加工食品産業)について、それぞれのSASBスタンダード全文を包括的に見直す提案がなされています。たとえば採掘・鉱物加工セクターでは、気候変動対応や労働安全など多岐にわたるトピックが網羅されますが、今回の見直しでは温室効果ガス排出や労働慣行といった重要トピックについて、記載内容と言葉遣いをISSBの新基準に合わせてアップデートすることが重視されています。
具体例として、従来各スタンダードで微妙に異なっていた用語や計測単位を統一し、IFRS S2の要求事項と重複・矛盾しないよう整理することが挙げられます。これにより企業側・開示側にとっては、ISSB基準に準拠した報告を行う際にSASB基準由来の情報を矛盾なく組み込めるようになり、開示の簡素化と実務面での一貫性向上が期待されています。

加工食品産業に関しても同様に、食品業界特有の環境・社会課題がIFRS基準や他の国際基準と整合する形で整理されています。これら9業種はSASB全77業種のうち先行して包括改訂が行われる形となり、他業種の見直しモデルケースになるものと思われます。

3.共通トピックにおける指標の横断的修正

前述の包括的見直しと併せて、改訂案では複数業種に共通する開示トピックについて、指標定義や計測方法の横断的な統一が提案されています。特に注目すべきは以下の4分野です。

GHG排出量

採掘・鉱物加工セクターなどにおいて、温室効果ガス排出量の算定指標がIFRS S2の要件と矛盾しないよう見直されています。具体的には、Scope1排出量の算定プロトコルをIFRS S2基準に整合させ、重複する開示を避けつつ補完し合う構造に改めています。さらに、このGHG指標見直しを踏まえて他の12業種にも同様の改訂が提案されており、業種ごとに異なる規制環境であっても開示データの一貫性を高める狙いがあります。

エネルギー管理

「工事用資材」「鉄鋼製造」「金属・鉱業」等の業種で、エネルギー使用に関する指標の改訂が行われます。主な変更点は、再生可能エネルギー消費量などの開示を従来の割合から絶対値に変更すること、さらに自家発電やPPAによる再エネ供給量を強調することです。また「自己生成エネルギー」の定義を2015年版GHGプロトコル Scope2ガイダンスの定義と統一し、燃料から生じるエネルギー量の計測には高位発熱量ではなく低位発熱量を用いるといった技術的修正も含まれます。これら改訂は他の21業種にも波及し、結果としてIFRS S2との整合性だけでなく、2025年6月公表のGRI 103: Energy 2025との相互運用性向上も期待されています。

水資源管理

採掘・鉱物加工セクターの一部業種では、水資源に関する開示指標が見直されています。具体的にはGRI 303: Water and Wastewater 2018との整合を図り、取水量を水源別に区分して報告すること、「水ストレス」の定義見直し、水関連リスクの高い事業所所在地の開示、従来の「水質許可違反件数」指標を「排出先および処理レベル別の排水量」という指標に置き換えること、等が提案されています。
これらを反映するため、他の16業種でも同様のポイントを絞った修正が盛り込まれています。

労働安全衛生

採掘・鉱物加工セクターなど7業種の労働安全に関する開示項目について、大幅な改訂が提案されています。主な変更は、指標上の「直接従業員」「契約社員」という区分を「従業員」「非従業員労働者」に置き換え、雇用形態によらず包括的に捉える。また「死亡率」を「死亡者数」に置き換え絶対数で示す。「ニアミス頻度率」のような先行指標はサブ指標から除外し、代わりにそれらを有する場合は定性的に開示する。「全事故件数率」を「死亡者数および総記録可能傷害発生率」に変更し重篤度を明示する。労働安全の活動量指標として従業員数・非従業員数・労働時間を新たに報告させる等です。併せて他の13業種でも関連する箇所の統一修正が行われ、業種横断で労働災害データの比較がしやすくなります。

以上のように、改訂案は各業種ごとの詳細な変更点を含みますが、全体としては「業種固有の指標は尊重しつつ、特定のテーマについては国際基準ラインで整える」という方向性が貫かれています。これにより企業は自社に適した指標で実態を開示しつつ、投資家はテーマ別に業種横断で企業比較ができるようになるという利点があります。

4.日本企業への示唆と今後の対応

今回のSASB基準改訂案は、日本企業のサステナビリティ開示にも大きな示唆を与えます。まず、日本の有価証券報告書開示基準もISSB基準との整合が図られる予定であり、ゆくゆくは改訂後のSASBスタンダードを参照することが求められる可能性が高いです。実際、SSBJも企業に対し報告の際にSASBスタンダードの適用可能性を検討するよう明記しており、今回の改訂内容は国内基準策定にも影響を及ぼすでしょう。したがって、国内企業は改訂案の段階から内容を把握し、早期に自社開示とのギャップ分析を行うことが重要です。

具体的な対応策

具体的な対応策としては、改訂案で変更・追加される指標について現行開示を点検し、不足しているデータ項目や定義のずれを洗い出す必要があります。例えば、温室効果ガス排出量の算定方法や労働災害指標の定義が改訂される場合、社内で用いている算出基準やデータ収集プロセスを見直し、新基準に合わせて調整することが求められます。また、水リスク関連の情報(取水量や高水リスク拠点の開示等)が新たに強調されるため、これまで開示していなかった企業はデータ収集体制を整備する必要があるでしょう。

確定案

改訂案はまだ草案段階ですが、2026年には正式な基準改訂として発行される見通しであり、各国規制当局もそれに歩調を合わせるものと考えられます。時間軸を考えると、実務への影響はそう遠くありません。特に2025年以降、欧米やアジアの先進企業は改訂SASBスタンダードを先取りして自社レポートを更新してくる可能性があります。日本企業としても、国際的な開示水準に遅れをとらないために、今のうちから改訂ポイントに沿った情報整備と内部プロセスの強化を進めることが賢明です。例えば、データガバナンスの面では改訂項目に対応できるよう社内システムをアップデートし、必要に応じて関連部門への教育や意識付けを行うとよいでしょう。

5.まとめ

最後に、日本企業へのメッセージとして強調したいのは「基準改訂をリスクではなく機会と捉える」視点です。今回の改訂は確かに新たな対応負荷を伴うものの、裏を返せば国際的に信頼される開示フレームワークが整備されることでもあります。自社のサステナビリティ情報をこの最新版基準に沿って開示することは、投資家からの信認を高めるチャンスとも言えるでしょう。改訂SASBスタンダードへの適合を一つの目標とし、社内のESG情報管理体制を底上げすることが、結果的に持続可能な企業価値向上につながるはずです。

引用先

【IFRS財団】「ISSB proposes comprehensive review of priority SASB Standards and targeted amendments」
https://www.ifrs.org/news-and-events/news/2025/07/issb-comprehensive-review-sasb/

【JPX ESG Knowledge Hub】「ESG情報開示枠組みの紹介:SASBスタンダード」
https://www.jpx.co.jp/corporate/sustainability/esgknowledgehub/disclosure-framework/03.html

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この記事を書いた人

大学在学中にオーストリアでサステナブルビジネスを専攻。 日系企業のマネージングディレクターとしてウィーン支社設立、営業戦略、社会課題解決に向けた新技術導入の支援など戦略策定から実行フェーズまで幅広く従事。2024年よりSSPに参画。慶應義塾大学法学部卒業。

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