インターナルカーボンプライシング(ICP)は国内外で急速に広がりつつあります。本記事では、ICPのグローバルな動向と今後の展望について解説します。世界の主要企業の導入状況や各国の政策トレンドを概観し、これからの企業経営において押さえておくべきポイントを整理します。国際的な潮流の中で、企業がどのようにICPを活用し戦略を立てるべきかヒントを提供します。


1.世界におけるICP導入の動向
世界的なICP普及状況を見ると、年々導入企業数が増加しています。CDP(気候変動開示プラットフォーム)の2023年調査によれば、全世界で1,700社以上がすでにICPを導入済みであり、回答企業全体の約14%に相当します。さらに約25%(3,000社超)の企業が「今後2年以内にICPを導入予定」と回答しており、近い将来には世界で5,000社規模に達する見込みです。地域別では、アメリカが導入企業数でトップ、次いで日本、欧州の順に多く、特に米日で企業主導のICPが広がっているのが特徴です。一方、新興国企業でもCDP報告などを通じてICP検討が進む例が増えており、今後はグローバルサプライチェーン全体での取り組みが重要になってきます。
シャドープライス型
ICP導入企業の多く(約81%)は、シャドープライス型すなわち社内での理論価格設定に留まっています。実際に社内課金まで行う企業は少数派ですが、中にはスイス再保険(Swiss Re)のように100ドル/トン以上の高額な内部価格(2021年導入、$100→2030年までに$200へ)を設定し、社内の出張や各部門に実費負担させている例もあります。Swiss Reではこの炭素料金収入を再エネ電力や炭素除去クレジットの購入資金に充て、2030年までに自社排出の100%相当をオフセットする計画です。また、内部炭素価格を三桁ドルに引き上げたことで社員の航空機出張が大幅削減された(炭素コストが可視化されたことで社員行動が変化した)との報告もあり、一定の効果が確認されています。
価格水準
一方で、多くの企業では内部価格は$10〜$50/トン程度にとどまっており、必ずしも十分高い水準とは言えません。CDPが公開したデータによれば、影響度の大きいグローバル企業の中央値は約$25/トンで、最高値は$1000を超えるケースもあるものの、それはごく一部に限られます。このように価格設定には企業間で大きなばらつきがあります。各社が自社の業界特性やリスク評価に基づいて手探りで決めているのが現状で、適切な価格水準に関するコンセンサスはまだ確立していません。ただし近年、SBTi(科学的削減目標イニシアチブ)が企業向けに内部炭素価格設定の指針を発表するなど、ベストプラクティスを共有しようという動きも出ています。
効果検証
ICPが企業の排出削減に資するかどうか、効果検証も始まっています。CDPのデータ分析では、米国上場企業500社のサンプルにおいてICPを導入している企業は従業員あたり・売上高あたりの炭素排出量が導入していない企業より約13〜16%低いという結果が示されています。これは因果関係を断定するものではありませんが、内部炭素価格を持つ企業の方が排出効率が良い傾向があることを示唆しています。もっとも、ICPだけで十分かというと課題も指摘されています。現状の価格水準では多くの場合、化石燃料からの脱却や大規模イノベーションを促すにはインパクトが不十分との批評もあります。そのため、自主的なICPに加えて政府の強制力ある炭素価格政策が必要との声(CEO気候連合の公開書簡など)も出ています。
総じて、グローバルでは「ICP導入はもはや一般的、しかし価格水準と運用方法には課題あり」という状況です。とはいえ、TCFDやISSBなど国際基準がICP活用を事実上求めている流れもあり、今後も導入企業は増え、価格水準も引き上げ方向に進む可能性が高いでしょう。
2.各国の政策動向と規制強化の潮流
ICPのグローバル動向を語る上で、各国政府のカーボンプライシング政策や関連規制の強化も押さえておく必要があります。企業の自主的取組であるICPとは直接の関係はありませんが、将来の規制を見据えてICPを導入する企業も多いため、その背景となる潮流を概観します。
欧州連合(EU)
まず欧州連合(EU)は世界で最も積極的にカーボンプライシングを導入している地域です。EU ETS(排出量取引制度)は域内の発電・産業部門にCO2排出枠を設けて取引させるもので、ここ数年で価格が高騰し1トン当たり€80–100(1万円強)に達しています。さらにEUは2026年から炭素国境調整メカニズム(CBAM)を段階導入し、域外からの輸入品に含まれる炭素排出に料金を課す仕組みを始めます。これは実質的に貿易相手国にも炭素コスト負担を要求する制度であり、日本企業を含む輸出産業に直接影響を及ぼします。したがって欧州向けビジネスがある企業は、自社製品1単位あたりのCO2にいくらのコストが付くかを試算しておく必要があり、ICPを用いてシミュレーションしているケースもあります。
アメリカ
アメリカでは連邦レベルの炭素税はありませんが、一部州(カリフォルニア州や東部諸州のRGGIなど)で排出取引制度が運用されています。またバイデン政権下でSEC(証券取引委員会)が気候関連リスク開示規則を検討するなど、上場企業に対して気候リスクの定量開示が求められる機運があります。仮にSECルールが導入されれば、企業はシナリオ分析の一環で炭素価格を用いた将来予測を開示する必要が生じ、ICP的な考え方が重要になるでしょう。カナダやシンガポールなど炭素税導入国も増えており、各国でカーボンプライシングの網がじわじわ広がっています。
日本
日本に目を転じると、2023年に政府がGX(グリーントランスフォーメーション)リーグを立ち上げ、2026年をめどに大規模排出事業者対象の排出量取引市場を本格稼働させる方針を打ち出しました。また従来から石油石炭税の一部として炭素税(温暖化対策税)が課されていますが、その税率見直しも検討課題です。さらに金融庁は2025年からサステナビリティ開示基準(IFRSベース)を上場企業に適用予定で、そこでのシナリオ分析に内部炭素価格が使われる可能性があります。環境省も「インターナルカーボンプライシング導入支援事業」として複数企業の実証を支援してきました。つまり日本でも政策的に自主的ICPを促進しつつ、将来的にはハイブリッド型(自主+規制)のカーボンプライシング体制を整えようとしているとも言えます。
こうした各国の動向から読み取れるメッセージは、「将来的に炭素に価格が付くのは避けられない」ということです。企業にとって、今は自由意思でICPを導入するか選べる状況ですが、いずれ外部環境として強制的にカーボンコストを負担する時代が来るでしょう。その意味で、ICPは早めに導入して慣れておくほうが得策なのです。
3.今後の展望
最後に、ICPを取り巻く今後の展望と、企業が留意すべきポイントをまとめます。
内部炭素価格の役割拡大
内部炭素価格は、これまで主に社内の投資判断ツールとして使われてきましたが、今後は対外的な説明責任の文脈でも重要性を増すでしょう。欧州のサステナビリティ報告基準(CSRD)やISSBの基準では、企業が自社の気候関連リスクにどう対応しているか詳細な開示を求めています。その際「どの程度の炭素価格を想定してビジネス計画を立てているか」を問われる可能性が高まっています。自社の内部価格設定ロジックを明確にし、ステークホルダーに説明できるようにしておくことが求められるでしょう。企業は内部炭素価格を戦略的コミュニケーションツールとして位置付け、透明性高く開示する姿勢が重要です。
価格水準の見直しとダイナミック・プライシング
気候変動対策が加速するに連れ、必要とされるカーボン価格水準も上昇していくと予想されます。パリ協定の1.5℃目標を達成するには2030年までに少なくとも$100/トン以上の炭素価格が必要との試算もあります。企業は、自社の内部価格が将来の外部価格と乖離しすぎないよう定期的な見直しを行うべきです。実際、多くの先進企業は毎年または数年ごとに内部価格を改定しています。また一律価格ではなく、用途に応じた複数水準の価格設定(例:運用上は$30だが投資判断シナリオでは将来値$100も併用、など)や、年度が進むごとに自動的に段階引き上げする仕組みを導入する企業も出てきています。自社の脱炭素ロードマップに合わせ、ダイナミックに価格を調整していく発想が必要でしょう。
バリューチェーン全体への拡張
ICPの適用範囲も拡大傾向にあります。直接の事業所排出だけでなく、サプライヤーや製品使用段階まで含めたバリューチェーン全体でのカーボンプライシングを検討する企業が増えています。例えば自社製品を仕入れるサプライヤーに対し、提案見積時に一定のカーボン価格を織り込んだ原材料選択を促す、といった動きです。冒頭で紹介したアイスランド電力会社の例では、風力発電所建設の入札評価に$144/トンの価格を適用し、納入業者が低炭素資材で提案するよう誘導しました。まだ試行的段階ですが、ICPを調達・設計段階にまで組み込んでいく流れが出てきています。企業は社内だけでなく、重要調達先やパートナー企業とも炭素価格の考え方を共有し、共同で排出低減に取り組む方向へ進むと見られます。
規制対応とビジネスチャンスの両面で活用
ICPは将来の規制対応トレーニングであると同時に、新たなビジネスチャンスを見極めるツールにもなります。内部価格を適用して事業ポートフォリオを評価し直すことで、従来は採算に乗らなかった低炭素ビジネスが有望に転換するケースもあります。また、自社の排出1トン削減あたりコストがわかれば、カーボンクレジット市場での売買判断や、他社の削減策との比較分析にも役立ちます。さらにカーボン価格に連動した社内プロジェクトコンペや、カーボンコスト分を原資とした社内ベンチャー育成(ICPを社内起業のインセンティブに活用する例も登場しています)など、発展的な活用も期待できます。企業はICPを単なるリスク低減手段に留めず、戦略立案やイノベーション創発のツールとして活かせるよう工夫していくべきでしょう。
実践文化の醸成
最後になりますが、今後ICPを有効に機能させるには、企業文化として失敗を恐れず使ってみる精神を醸成することが重要です。気候変動対応は前例のない課題であり、ICPも試行錯誤が避けられません。社内から「完璧でないと導入できない」という声が上がったとき、経営者は「完璧を目指すよりまずやってみよう」と背中を押す必要があります。小さな取り組みでも実際に動かしてみることで見える課題があります。その積み重ねが最終的に大きな成果につながるでしょう。変化が激しいこれからの時代、アジャイルに学習・適応していく企業だけが生き残れるという認識を共有し、ICP導入・運用を通じて組織としての気候対応力を高めていくことが肝要です。
引用
Reuters (Brand Watch) 「Putting a price on their climate impact – challenge for companies」
https://www.reuters.com/sustainability/boards-policy-regulation/brandwatch-putting-price-their-climate-impact-remains-big-challenge-companies-2024-11-05/
環境省「インターナル・カーボンプライシングについて」
https://www.env.go.jp/council/06earth/900422845.pdf
環境省「インターナルカーボンプライシング活用ガイドライン」
https://www.env.go.jp/press/ICP_guide_rev.pdf
