企業のサステナビリティ担当者にとって、サプライチェーンからの一次データ提供を引き出すことは、温室効果ガス(GHG)Scope3排出量算定の精度向上に不可欠な課題です。自社の脱炭素経営を進めるには、自社活動だけでなく取引先(サプライヤー)との協働が欠かせません。本記事では、一次データ提供の重要性や、サプライヤーへの効果的な依頼コミュニケーションの設計ポイントを解説します。さらに、回答率を高めるアンケート設問や配信方法の工夫、データ提供後のフィードバックや継続的な関係構築の方法、そしてCDP(Carbon Disclosure Project)など外部評価で求められる一次データ活用と提供体制の整備についても取り上げます。ビジネス現場で役立つ実践的な戦略を、わかりやすい見出しと共にご紹介します。


1. Scope3算定における一次データ提供の重要性
企業のサプライチェーン全体で排出されるGHG排出量(Scope3)を正確に把握し削減するには、取引先からの一次データの収集が鍵となります。一次データとはサプライヤーから直接提供される実測値であり、業界平均などの二次データとは異なり各社固有の排出実態を反映します。一次データを活用すれば、サプライヤーが再生可能エネルギーを導入するなど排出削減の努力を算定結果に正確に反映できます。また詳細なデータにより排出の**ホットスポット(重点領域)**を特定しやすくなり、効果的な削減策の策定につながります。一方で二次データのみの算定では、サプライヤー個別の努力が数字に表れず、算定結果に透明性や信頼性を欠くという課題があります。
投資家
近年は投資家や顧客からの情報開示要請も強まっており、一次データに基づく透明性の高い報告がステークホルダーからの信頼を高めます。環境省も一次データ活用を強く推奨しており、世界的に排出量報告の高度化が進む潮流に対応する動きです。実際、Scope3排出量算定の精度向上と削減活動の実効性確保にはサプライヤーの協力が不可欠と指摘されています。一次データ提供の重要性を正しく理解し、サプライヤーに協力を促すことが脱炭素経営の土台となります。
2. サプライヤーへの依頼コミュニケーション設計のポイント
サプライヤーから一次データを提供してもらうには、依頼時のコミュニケーション設計が重要です。単にデータ提出を求めるだけではなく、相手に納得と利点を感じてもらう工夫が必要です。以下に、依頼文面や説明の際に押さえるべきポイントを紹介します。
目的と背景を明確に伝える
なぜそのデータが必要なのか、**目的や背景(Scope3算定や脱炭素目標への寄与など)**を具体的に説明しましょう。自社の気候変動対策方針や目標値、取り組み計画を共有し、取引先にも自社の課題意識を理解してもらいます。「なぜ協力が必要なのか」を示すことで相手の納得感が高まります。
サプライヤーにとってのメリット提示
データ提供がもたらす相手側のメリットも強調しましょう。例えば「自社の排出量を把握することで効率改善やコスト削減につながる」「将来的な規制や顧客要求への早期対応になる」「貴社の環境対応アピールにつながる」等、サプライヤー自身の利点を示します。最近では「脱炭素に積極的な企業ほど取引機会が拡大する傾向がある」とも指摘されており、協力が競争力強化につながることを伝えるのも効果的です。
依頼内容を具体的かつ配慮ある表現で
「○月○日までに製品ごとのGHG排出原単位データをご提供ください」といった形で、求めるデータの範囲やフォーマット、提出期限を具体的に伝えます。その際、可能な限り相手の負担に配慮した依頼文にします。「ご多忙のところ恐縮ですが」「御社の取り組み状況に応じて可能な範囲で」など丁寧なトーンで協力をお願いしましょう。また、提供いただいたデータの取り扱い(機密保持や利用用途)についても明記し、安心感を与えることも大切です。
経営層・関連部署からの働きかけ
依頼は環境部門の担当者だけでなく、場合によっては自社の経営層や調達部門から正式に依頼する方が効果的です。トップメッセージや調達部門からの協力要請は、サプライヤー側も重要事項と受け止めやすくなります。自社内でも環境部門と調達部門が連携し、依頼内容の検討や分担を決めて取り組むことが推奨されています。例えば環境部門が算定方法の説明や収集データの集計を担い、調達部門が日頃の窓口としてフォローする役割分担が有効です。
3. 回答率を高めるアンケート設問設計と配信方法
サプライヤーから高い回答率でデータを回収するには、アンケート(調査票)の設問設計と配信方法の工夫がポイントです。協力企業の負担を減らし、スムーズに回答してもらうための具体策を見ていきましょう。
設問設計の工夫
アンケートの内容はできるだけ簡潔でわかりやすく設計します。専門用語の多用を避け、誰もが回答可能な平易な表現にしましょう。質問数は必要最小限とし、1問1問を短くシンプルにまとめます。選択式(単一選択・複数選択)や数値入力など回答しやすい形式を採用し、自由記述は必要最低限に留めるのがコツです。回答者が「時間がかかりそうだ」と感じてしまうと離脱の原因になるため、所要時間は5〜10分程度に収まるよう心がけます。質問の順番も自然な流れになるよう配慮し、冒頭に回答者が重要性を感じる項目を配置すると最後まで回答を得やすくなります。
配信方法の工夫
アンケートの依頼は、できればメール本文で目的・利用用途を明記し、所要時間や設問数、回答期限も伝えます。依頼メールの件名や冒頭には「【重要】アンケートご依頼:◯◯について」などと付け、見落とされないようにしましょう。また、配信形式にも工夫が必要です。Excelシートへの記入・返信は一般的ですが、専用のウェブフォームやプラットフォームを用意すればクリックするだけで回答でき、回収・集計の手間も削減できます。最近ではサプライチェーン向けデータ共有システムの活用も進んでおり、たとえばエクセルでの回収は管理負荷が高いためシステム化したいというニーズも増えています。可能であれば自社サイトやクラウド上に回答フォームを用意する、あるいはCDPサプライチェーンプログラムやEcoVadisなど既存のプラットフォームを活用するのも有効です。複数の顧客企業から似た調査依頼を受けるサプライヤーにとっては、質問の標準化・一元化は大きな負担軽減になります。業界団体や同業他社と協調しアンケート項目を標準化する取り組みも有効でしょう(実際、通信業界では主要3社が共同で共通の調達先アンケートを策定しています)。
フォローアップ
回答期限前後にはリマインド(催促)連絡も欠かせません。ただし督促のみに終始すると関係性を損なう可能性があるため、「期限が近づいておりますが、ご不明点はありませんでしょうか」といったフォローの姿勢で連絡します。必要に応じて電話や対面でヒアリングを行い、回答の補助を行う姿勢を示すと安心感を与えられます。自社の調達担当者から日頃の会話の中で依頼状況を確認してもらうのも効果的です。
こうした工夫により、目標回収率を上回る回答が得られる可能性が高まります。実際ある企業(KDDI)では重要サプライヤーへの調査で目標90%に対し98%という非常に高い回答率を達成した例があります。この成功の背景には、質問内容の明確化や依頼時の十分な説明に加え、後述するフィードバック提供など丁寧な対応があったと考えられます。
4. 提供データへのフィードバックと継続的な関係構築
サプライヤーから貴重な一次データを提供してもらった後は、**フィードバックと継続的なエンゲージメント(関係構築)**が重要です。データ提供を単発のやり取りで終わらせず、次につなげるコミュニケーションを図りましょう。
データ提供へのフィードバック
データを提出してくれた全てのサプライヤーに対し、感謝の意を伝えると共に何らかのフィードバックを行います。例えば、自社の分析結果やサプライチェーン全体の算定概要をまとめた報告書を共有する、各社ごとの排出量や評価スコアをフィードバックシートにして提供する、といった方法があります。先のKDDIの事例では、回答いただいた全取引先にスコアや是正点のコメント付きフィードバックシートを発行しています。このようにフィードバックを行うことで、サプライヤーは自社の位置づけや改善点を把握でき、次のアクションに活かせます。また「提供データはしっかり活用されている」という実感が湧くため、協力に対する満足度や次回以降の参加意欲も高まるでしょう。
継続的なコミュニケーションと支援
一度データ提供が終わった後も、定期的な連絡や情報共有を続けます。四半期ごと・半年ごとにニュースレターやメールで業界動向や自社の脱炭素施策の進捗を共有する、年次のサプライヤーミーティングを開催して意見交換や表彰を行う、といった継続策が考えられます。優れた協力をしてくれたサプライヤーを社内外で表彰すればモチベーションアップにもつながります。また、サプライヤーから「対応方法が分からない」「削減投資に課題がある」といった声があれば、支援策を提供しましょう。たとえば算定手法のトレーニングを提供したり、省エネ診断やコンサルティングを紹介したりすることが考えられます。自社工場で培った省エネノウハウを共有して取引先のエネルギー効率化を支援する企業もあります。
協働による削減活動へ
データ共有が進んだ段階では、さらに踏み込んで共同の削減目標やアクションを設定することも検討しましょう。実例として、飲料メーカーのキリンは2024年に「サプライチェーン環境プログラム」を開始し、Scope3排出量の多い主要サプライヤー17社と3年間の協働計画を策定しています。このプログラムではお互いの実排出量データを相互開示し、サプライヤーに対してSBT(科学的根拠に基づく目標)水準の削減目標設定を依頼・支援し、さらに削減施策を共同で実行する取り組みを行っています。このようにデータ提供の先にある共通目標に向けた協働を進めることで、サプライヤーとの関係はパートナーシップへと深化し、双方にとって大きな価値を生み出すでしょう。
データ共有プラットフォームの活用
継続的な関係構築には、共有プラットフォームの活用も有効です。サプライヤーごとの排出データや目標・進捗状況を一元管理できるシステムを導入すれば、毎年のデータ更新や進捗モニタリングが効率化します。サプライヤー各社に専用アカウントを発行し、自社グループのデータ収集サイトで入力してもらう仕組みも考えられます。このようなツールを使えば、提供側・受け手側双方でデータの見える化が進み、削減に向けたコミュニケーションが円滑になります。自社単独で開発が難しければ、前述のCDPやEcoVadis、ゼロボードといった既存サービスの利用も検討すると良いでしょう。
5. CDPに評価される一次データ活用と提供体制の整備
サプライチェーンの気候変動対策に熱心に取り組む企業は、国際的な評価機関からも高い評価を受けるようになっています。特にCDPでは、2016年からサプライヤー・エンゲージメント評価(Supplier Engagement Rating)を導入し、企業がサプライチェーンでどれだけ効果的に気候変動対策を講じているかを評価しています。この評価は、CDP気候変動質問書の回答内容から算出され、上位企業は「リーダー・ボード」として公表されます。サプライヤーへの働きかけが特に優れている企業は、CDPの気候変動評価においても最高評価(Aリスト)に認定されるなど、レピュテーション向上にもつながっています。
サプライヤーエンゲージメントのポイント
では、CDPなどが注目するサプライヤーエンゲージメントの具体的なポイントとは何でしょうか。CDP質問書では、「Scope3排出量のうちどの程度がサプライヤーからの実測値(一次データ)で報告されているか」も問われており、できるだけ多くのScope3データを実測値で報告することが推奨されています。現状では多くの企業が依然として業界平均などの二次データに頼っていますが、排出削減を効果的に進めCDPスコアを向上させるため、各社とも一次データ収集に積極的に取り組み始めています。実際CDPでは、「主要なサプライヤーにGHG削減目標の設定を促す」「サプライヤーと協働で削減に取り組む」などの活動を高く評価しています。5年連続でCDPのサプライヤーエンゲージメント評価最高位となった企業(DNP)も、取引先に対し自社同様にGHG削減目標の策定を働きかけるなどサプライチェーン全体での気候変動対策を推進したことが評価されています。
社内整備の促進
このような外部評価も踏まえ、企業は一次データ提供のための社内外の体制整備を進める必要があります。社内では、環境・サステナビリティ部門と調達部門の連携体制を構築し、トップマネジメントの関与のもとで継続的にサプライヤー支援・データ収集を行える仕組みを作ります。先述の通り、最初は環境部門主導でも、対象取引先が増えれば調達部門がフォローできるようトレーニングを実施し役割移管していくことも検討すべきです。社外では、同業他社やバリューチェーン全体で協調し、重複負担の少ない情報開示の枠組みづくりに参加するのも一案です。例えば、前述のように業界標準のアンケート(共通SAQ)の策定や、CDPサプライチェーンプログラムへの加盟による一括データ収集などが挙げられます。国際標準との整合や最新ガイドラインへの適合も意識しつつ、サプライヤーと協調してGHG排出量を算定・削減する体制を整えていきましょう。
6. おわりに
一次データの提供をサプライヤーから引き出すためのコミュニケーションは、単なるデータ収集以上に自社と取引先の信頼関係構築の機会でもあります。依頼時の丁寧な説明とメリット提示、高い回答率を目指す工夫、提供後のフィードバックとサポート、そして共に削減に取り組む姿勢――これらを実践することで、サプライチェーン全体での脱炭素化が着実に前進していくでしょう。自社サイトでの情報発信や社内外への成功事例の共有も、取り組みをさらに加速させるはずです。ぜひ本記事のポイントを参考に、サプライヤーとの効果的なコミュニケーション戦略を練り上げ、自社のサステナビリティ経営にお役立てください。
参考文献・情報源: 本文中で言及した環境省のガイドラインやCDP関連資料、企業事例など。各種リンク先も併せてご参照ください。
引用・参考文献
https://www.env.go.jp/earth/ondanka/supply_chain/gvc/files/tools/1ji_data_v1.0.pdf
https://www.kirinholdings.com/jp/newsroom/release/2024/0424_01.html

