欧州電池規則には、バッテリーのサプライチェーン全体における人権・環境リスクに対処するためのサプライチェーン・デューデリジェンス(DD)義務が盛り込まれています。本記事では、このデューデリジェンス義務の内容と適用スケジュール、企業に求められる対応について解説します。欧州に製品を供給する企業のサステナビリティ担当者に向けて、最新の規制動向を踏まえた実務上のポイントをまとめます。


1.デューデリジェンス義務の目的
サプライチェーン・デューデリジェンス(Due Diligence)とは、企業が自社の供給網における人権侵害や環境破壊などのリスクを把握し、防止・軽減するための一連のプロセスを指します。欧州電池規則では、電池の原材料調達から製造・流通に至るバリューチェーン上で生じ得る環境・社会リスクに対し、「責任ある原材料調達」を徹底することが求められています。具体的には、児童労働や劣悪な労働環境による人権侵害、紛争鉱物の採掘、不適切な廃棄物処理による環境破壊といったリスクを念頭に、企業が事前防止策を講じることを目的としています。
背景
欧州がこの義務を導入した背景には、EVバッテリー需要の拡大に伴う鉱物資源調達の急増があります。コバルトやリチウムなど電池材料の多くは特定地域に偏在し、採掘現場での人権問題や環境汚染が国際社会で問題視されてきました。欧州連合(EU)はこうした課題に対応すべく、電池分野においてサプライチェーンの透明性と倫理性を確保するための法規制に踏み切ったのです。デューデリジェンス義務は、企業の自主的なCSR活動に委ねられていたリスク管理を法的強制力のある義務へ高めるものであり、持続可能なバッテリー産業の構築に向けた重要な一歩と位置付けられます。
2.欧州電池規則におけるデューデリジェンス要件の内容
欧州電池規則のデューデリジェンス要件は、電池をEU市場に供給する企業(電池の製造者や輸入業者など)に対し、サプライチェーン上のリスクを特定・評価し、それを低減するための社内方針や管理体制を整備することを義務付けています。主な要求事項は以下のとおりです。
デューデリジェンス方針の策定・運用
企業は自社の電池サプライチェーンで想定される人権・環境リスクについて方針(ポリシー)を策定し、経営層のコミットメントのもとでその方針を運用しなければなりません。方針には、対象とするリスクの種類(例:児童労働、不当な労働慣行、環境汚染など)や、万一問題が判明した場合の対応手順(是正措置や取引停止等)を含める必要があります。
リスクの特定・評価と対策
サプライチェーンの調査(サプライヤーからの情報収集や現地監査等)を通じて、人権侵害・環境破壊のリスクを継続的に特定・評価します。その上で、重大なリスクが認められた場合には、それを防止または軽減する措置(例:サプライヤーへの是正要求、代替調達先の模索、技術支援の提供等)を講じます。これらのプロセスはOECDデューデリジェンス・ガイダンスなど国際的な枠組みに準拠して実施することが期待されています。
第三者検証と定期監査
電池規則では、企業が構築したデューデリジェンス体制に対し第三者機関による認証・監査を受けることが求められます。具体的には、社内のデューデリジェンス手続きやリスク評価が適切に行われているか、独立した認定監査機関(Notified Body)による審査・認証を取得する必要があります。また、その後も定期的に(規則上は当初毎年と規定、のちに改正で頻度緩和)監査を受け、継続的な体制の有効性チェックが義務付けられます。
情報開示(報告)の義務
企業は自社のデューデリジェンスの取り組み状況について毎年公開報告する義務があります。報告書には、特定したリスクの内容と対応策、講じた措置の結果などを盛り込み、サプライチェーン上の環境・社会リスクに対してどのように責任を果たしているかを利害関係者に示す必要があります。この公開報告は企業の透明性を高めるとともに、欧州市場における「デューデリジェンス実施の証明」として機能します。
以上がデューデリジェンス義務の主要な内容であり、総じて企業内部のマネジメントプロセスから外部報告まで網羅的な取り組みが要求されます。なお、規則の適用対象となるのは売上規模等の一定要件を満たす企業です。当初は「純売上高4,000万ユーロ超」の全ての経済事業者に適用予定でしたが、2025年の規則改正案により適用範囲が純売上高1億5,000万ユーロ超の事業者に限定され、より大規模な企業に絞られる方向ですj。この修正により、欧州電池規則のデューデリジェンス義務は主として大手の電池メーカーや自動車メーカーなどに適用され、中小企業は直接的な義務対象から除外される見込みです。ただし、中小企業であっても取引先の大企業からデューデリジェンス対応を求められる間接的影響は避けられず(後述)、サプライチェーン全体での意識と準備が必要となります。
3.デューデリジェンス義務の施行時期と最新の変更点
欧州電池規則のデューデリジェンス義務は、当初は2025年8月18日から適用開始と定められていました。しかし、EUは2025年に規制簡素化策「オムニバスIV」を提案し、本義務の開始時期を2年間延期する方針を打ち出しました。これにより義務開始日は2027年8月18日へと変更される見込みです。延期の理由としては、デューデリジェンスの実施指針となるガイドライン策定の遅れや、監査を担う第三者認証機関の不足といった実務上の準備遅延が挙げられています。EU当局自らが「企業側の準備時間確保と円滑な移行」を目的として延期を決定した経緯があり、規制遵守に必要なインフラ整備に配慮した措置といえます。
適用対象企業の範囲縮小や報告頻度の緩和
具体的には、デューデリジェンス報告書の見直し頻度が「毎年」から「3年ごと」に緩和される見込みです。これは企業負担軽減を図る一方で、実効性確保とのバランスが議論された結果と考えられます。重要なのは、義務開始時期や手続き面の調整が行われても、デューデリジェンス義務そのものの中核内容(リスク特定・対応の責務)は変わっていない点です。つまり、開始が遅れた分の猶予期間を活かしつつ、企業は求められる体制整備を確実に進めておく必要があります。なお、この延期により電池規則のDD義務開始はEU全体の企業持続可能性デューデリジェンス指令(CSDDD)の発効時期(2027年予定)とほぼ同時期になり、両制度の足並みが揃う形となりました。電池規則のDD義務はCSDDDを補完する業界特化ルールとして位置付けられており、欧州委員会も両制度の整合性確保を意識していることがうかがえます。
4.日本企業への影響と求められる対応
欧州電池規則のデューデリジェンス義務は、欧州市場で事業を行う企業のみならず、そのサプライチェーンに組み込まれる世界中の企業に波及効果を及ぼします。たとえ日本企業自体が義務適用対象(純売上高要件)に該当しなくても、欧州の取引先企業(例えば自動車メーカーなど)が規則遵守のために、部品や材料を供給する日本のサプライヤーにもデューデリジェンス対応を要求してくることが十分考えられます。実際、EUではデューデリジェンスを「欧州でビジネスを行うためのライセンス」と見なしつつあるとの指摘もあり、グローバルに事業展開する企業は規模の大小にかかわらず対応が不可欠となるでしょう。
サプライチェーンの現状把握
企業が講じるべき具体的対応策としては、まずサプライチェーンの現状把握が出発点です。自社の電池原材料がどの国・鉱山から調達されているか、各サプライヤーにおける労働環境・環境管理の状況はどうかといった情報を収集し、リスクの所在をマッピングします。その上で、リスクの高い調達源が判明した場合にはサプライヤーと協議し、必要な改善策(現地監査の実施、改善計画の要求等)を取り決めます。場合によっては、改善が見込めない取引先からの調達縮小や代替ソースへの切り替えといった決断も検討する必要があるでしょう。
内部体制の整備
デューデリジェンス推進の責任部門や担当者を明確化し、経営トップからの支持を得て全社的なコンプライアンス体制を築きます。方針策定からリスク評価、改善措置のフォロー、年次報告に至るまでの手順を社内規程として整備し、必要なトレーニングを実施します。特にサプライチェーン上流(鉱山など)のリスクは企業から距離があるため見落としがちですが、外部専門機関の知見も活用しつつ綿密な情報収集網を構築することが重要です。
ステークホルダーとの協働
業界団体や多者イニシアティブへの参加を通じて、共通の監査基準作りや情報共有を図ることができます。例えば責任ある鉱物調達のための国際プログラム(RMIなど)に加盟し、監査結果を相互承認する仕組みに乗ることで効率的にリスク管理を行う企業も増えています。また金融機関や投資家からの要請に備え、デューデリジェンスの実施状況をESG報告等で開示し、対外的な信頼を高めておくことも求められるでしょう。
まとめ
総じて、欧州電池規則のサプライチェーン・デューデリジェンス義務は企業のサステナビリティ経営における新たなハードルであると同時に、持続可能なサプライチェーン構築への指針とも言えます。規制対応を単なるコスト負担と捉えるのではなく、リスクを適切に管理することでサプライチェーンの強靭性を高め、ひいては企業価値の向上につなげる好機と捉える発想が重要です。欧州委員会も今回の施行延期を「規制の意図が弱まったのではなく実施困難さへの現実的対応」と説明しており、将来的に要求水準が下がることは考えにくい状況です。各企業はこの猶予期間に着実な準備を行い、デューデリジェンスを自社の競争力強化とリスク低減の両面で活かせるよう、経営戦略に組み込んでいくことが肝要でしょう。
引用
https://eur-lex.europa.eu/eli/reg/2023/1542/oj/eng
https://www.consilium.europa.eu/en/press/press-releases/2025/07/18/simplification-council-adopts-law-to-stop-the-clock-on-due-diligence-rules-for-batteries/
https://www.minespider.com/blog/eu-battery-due-diligence-postponed-what-it-means-for-companies
https://www.fastmarkets.com/insights/lithium-ion-battery-recycling-feedstock-shortage/


